豊葦原中津谷のニニギ

食糧自給率の向上を目指して! (風の谷の生活)

<<豊葦原中津谷のニニギ>>

「なぜ、この谷のように暮らせぬのか」
腐海という危機を前にしても戦争に明け暮れる諸国を、ユパはこう嘆いています。
現在の地球が置かれている状況は、この台詞に表されているように思えませんか。
ならば、風の谷のように暮らしてみよう。
私なりの解釈の元、片田舎で自給自足型農業を始めることを決意したのです。

極地研究所とJAMSTECの違いの一つが、極地研究所の場合は、研究に大きな危険を伴う場合が少なくないことでしょうか。
装備も、独特のものになります。
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極地研究所の一般公開では、観測のための機材も展示してありました。
その一つが、テントです。
image 大振りのテントです。
中に入っている椅子やテーブルを見れば、テントの大きさも分かると思います。
使用眼鏡が非常に厳しいので、構造に工夫がされています。
その一つが、防寒でしょう。
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よく見ると、テントが外皮と内皮の二重構造になっています。
外皮と内皮の間には、厚さ10cm程度の隙間があり、断熱材の役割はあるようです。
 

「イチローが嫌いだ。あの人を見ていると、
限界という言葉が言い訳みたいに聞こえるから」
そう呟くのは、競泳の一ノ瀬メイ選手。

巷で話題になっているCMです。

おそらく、彼女は、練習して、練習して、練習して、練習して、
「もう限界!」と叫びたくなるくらいに練習しているのだと思います。
こんなに練習しているのに、イチローは更に先へと行こうとしている。
イチローがいる限り、「限界」と言わせてもらえない。
だから、「嫌いだ!」

私はどうか。
大した努力もせず、持って生まれた能力さえもほとんど使っていない。
「イチローが嫌いだ」さえ言えない。
「イチローは凄いなぁ」としか言わない。
目の前に一ノ瀬選手が現れたら、恥ずかしくて穴に隠れるしかありません。

「でも、同じ人間のはずだ」
CMは、この言葉が続きます。
私も同じ人間。
できる事も、やろうとしている事も、違っていますが、
恥ずかしくないくらいの努力はしたいものです。 


極地研究所の一般公開では、サイエンスカフェ(ミニ講演)を中心に見てきました。
私は、「サイエンス」より「カフェ」の方に惹かれたのかもしれません。

そのサイエンスカフェの中で、最後に見た「日本の天気予報を改善する北極海の気象観測」が最も印象に残っています。
講演したのは、昨年に博士号を取ったばかりの若い研究者。
極地研らしく強めの冷房の中、汗を流しながらの熱い講演でした。

彼によると、北極の気象観測は、日本の天気予報を行う上で非常に重要なのだそうです。
現在、北極圏にある気象観測点は、わずかに16ヶ所しかないそうです。
この16ヶ所では、通常の2倍にあたる1日4回の気象観測を行うことで、観測点数の少なさを補っています。
その効果は大きく、他の観測点と同じ回数分の気象データを入力した場合の気象シミュレーションとの比較を行うと、明らかに気象シミュレーションの精度が低下することが確認できたそうです。
逆説的に言えば、北極の気象は、日本周辺の気象にも大きな影響を与えていることを示しているのです。

さて、その北極ですが、近年、大きな気候変動が起き始めています。
その影響は、必ず日本周辺の気候にも現れるはずです。
以下は、「北極観測」という極地研究所の冊子の抜粋です。
ここでも、最初に「北極に大きな気候変動が起き始めています」が掲載されています。
北極の気候を読み解き、地球温暖化の現状を把握しなければならないようです。

0.北極観測_表紙&裏表紙

1.北極に大きな気候変動が起き始めています

極地研究所と言えば、真っ先に思い浮かぶのが、南極観測船ですね。
現在運用されているのは、2艦目の砕氷艦「しらせ」です。

しらせ2

ちょっと意外に思われるかもしれませんが、「しらせ」所属は海上自衛隊です。
これは、戦後初の南極観測で使用した「そうや」、「ふじ」、先代「しらせ」の全てに共通します。
一つには、南極観測が非常に危険だったためなのかもしれません。

しらせ


こちらは、先代の「しらせ」です。
南極観測に用いられた歴代の砕氷艦で唯一の三軸船でした。
大きさや性能は現行の「しらせ」と大差なく、日本の南極観測において、砕氷艦の完成形とも言えるでしょう。
実際、歴代で最も多い25回の南極観測を成功させています。

「しらせ」の名前ですが、一般には白瀬矗が由来と言われています。
(正式には異なるのですが、大元を辿れば白瀬矗に行き着くのです)
白瀬矗は、1910~1912年に日本で初めての南極探検を行った人物です。
極地研究所にも、記念碑がありました。

白瀬南極探検隊記念碑

白瀬南極探検隊記念碑2



南極点にこそ達することはできませんでしたが、貧弱な装備にも拘らず、この時代の南極探検において全員が無事に帰還したことは見事と言っても良いと思います。

日本の南極観測では、越冬隊の死者は1名のみです。
昨年は、残念ながら「しらせ」乗組員に死者がでましたが、安全第一に観測を続けて戴きたいと思っています。

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