豊葦原中津谷のニニギ

食糧自給率の向上を目指して! (2100年の日本へワープ)

<<豊葦原中津谷のニニギ>>

「なぜ、この谷のように暮らせぬのか」
腐海という危機を前にしても戦争に明け暮れる諸国を、ユパはこう嘆いています。
現在の地球が置かれている状況は、この台詞に表されているように思えませんか。
ならば、風の谷のように暮らしてみよう。
私なりの解釈の元、片田舎で自給自足型農業を始めることを決意したのです。

                              いむたかつみ

先日、藤の花を見に行ってきました。
私の藤の花のイメージは、藤色に代表されるように薄紫色でしたが、
満開になっていたのは、白い色の藤と

白い藤


そして、黄色い色の藤でした。

黄色い藤


見慣れた藤の花は、少し元気はなくなっていましたが、それでも見応えはありました。

藤棚



さて、藤の花の見頃は、少し早くなってきているような気がします。

藤の花が表す季語は、晩春を表します。新暦では、5月頃になります。
花札では、藤の花は卯月(旧歴4月)を意味するそうです。
年毎の差や地域差もあるでしょうが、やや早くなっているような気がします。
ただ、
桜の開花(東京)は、過去50年余りでも3日程度しか早くなっていませんから、
藤の花の開花が早くなっているとしても、数日程度なのでしょう。

藤の花の開花も、East  のように、きちんと調べないといけないですね。

East I

今日は、プロ野球の観戦をしてきました。
西武プリンスドームで開催された西武vsオリックス戦です。

4番中村

西武の4番はおかわり君こと中村選手です。
3回、5回、9回はスコアリングポジションで打順が回りましたが、快音を聞くことはありませんでした。
絶好調のメヒアも封じられ、西武は最終解の反撃も及ばず、6-7で敗戦となりました。




さて、今回の罵詈雑言は、言論の自由です。
言論の自由は、憲法21条で保障された権利であることは、ほとんどの方が御存知でしょう。

憲法には、下記のように書かれています。


・集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

・検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


この考えの出発点になったのが、13箇条からなるポツダム宣言の10項に書かれていました。

・われわれは、日本を人種として奴隷化するつもりもなければ国民として絶滅させるつもりもない。
 しかし、われわれの捕虜を虐待したものを含めて、すべての戦争犯罪人に対しては
 断固たる正義を付与するものである。
 日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって
 障害となるものはこれを排除するものとする。
 言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする。


つまり、ポツダム宣言を受諾した時点で、日本は言論の自由を保障する義務を負ったのです。
これが形になったのが、憲法21条なのです。


さて、今回は、自民党の憲法改正草案については言及しません。
これより問題に思っているのが、メディアの態度だと考えているからです。

本来、「自由」には「責任」、「権利」には「義務」が生じます。
憲法の表記の上では、言論の自由に対する義務は、書かれていません。
ですが、何を表現しても許されるわけではありません。

では、メディアはどのように言論の自由を捉えているのでしょうか。
多くのメディアでは、「我々は、言論の自由を堅守しなければならない」との論調が目立ちます。
ですが、言論の自由の裏にある「責任」については、メディアからはほとんど聞かれません。

また、STAP細胞の際には、最初は必要以上に持ち上げ、一旦、不正が見つかると、これでもかと徹底的に叩いていました。
現在進行形で言えば、地震予知についてのメディアの基本姿勢は、有料地震予知を高く評価する一方で、地震学会が地震予知できていないことを非難しています。これは、明らかに間違った内容です。
これらから、メディアが伝える情報は、事実に基づかず、メディアの都合(売り上げ、個人的な思想等)で内容を変えているように、私には思えます。


私は、護憲派です。
憲法は、国家の指針を示すものであり、結果的に為政者の方向性を制限する目的を持っています。
為政者側に口実を与えることになるメディアの動きは、護憲派にとってマイナス要因になります。
その辺りを、メディア関係者は理解できていないのではないかと、不安に感じています。

戦時中、職業野球(プロ野球)は事実上の中断を余儀なくされました。中等学校野球大会も、1941年から1945年まで中断しています。1940年に予定されていた東京オリンピックも中止されました。ノンビリ野球観戦できる今の幸せを、噛み締めています。

「サクラの開花予想をする」と宣言して3ヶ月余りも悪戦苦闘してきましたが、
札幌等の未開花地域を含め、2016年のサクラの開花予想は、断念する事にしました。

今も数値解の計算には挑戦を続けており、進展があれば発表していこうと思っています。


「サクラの開花予想」は、主たる目的は、気象予測の練習台にする事でした。
気象予測で利用する手法とは異なりますが、基本的な考えには類似点が少なからずあります。
また、私にとってはかなり高度な数学(数学に強い方にとっては大したことはない)を利用する点でも、類似しています。
今回は、まさに数学の力不足を露呈したわけですが、また勉強し直して挑戦を続けるつもりです。

今後は、間の抜けたタイミングに「サクラの開花」を口にする事になりますが、
失笑を覚悟で続けていきますので、お付き合いの程、お願いいたします。

「桜前線の北上」が今は昔になりつつある。
ここ20年ほど、九州ではソメイヨシノは北部の方が先に咲き、開花の地域が南に向かう南下現象が起きている。
地球温暖化で、花芽が低温で目覚める植物のメカニズム「休眠打破」がうまく働かないのが原因とみられる。
このままのペースで温暖化が進めば、将来は開花しない地域も発生すると警告する専門家もいる。

こんな記事が、西日本新聞のネットニュースに流れました。

サクラは、気温に敏感な花です。
暖かすぎても、寒すぎても、開花しません。
ソメイヨシノは、九州から北海道のほぼ全域で花を咲かせます。
北限は、北海道の美唄市とされています。
南限は、種子島付近とされていましたが、近年では開花の観測は行われていません。
開花が安定しないためと思われます。
この現象は、鹿児島市でも起き始めているようで、そう遠くない将来には、ソメイヨシノは鑑賞できなくなるのかもしれませんね。


当ブログでは、サクラの開花予想を掲載していますが、未だ開花を予想するところまで漕ぎつけていません。
これを、札幌の開花までに完成させたいと考えています。
そして、来年は、「休眠打破」について検討する予定です。
その上で、このまま地球温暖化が進めば、何年後からソメイヨシノが開花しなくなるかを予想したいと考えています。
面白くないネタですが、これが私たちが置かれている現状なのだと、理解していただきたいのです。

東日本大震災から丸5年になりました。
この震災では、15894名(行方不明を含めると18455名)の方が亡くなられました。

なぜ、こんなにも大勢が亡くならなければならなかったのか?



死者の半数は、70歳以上でした。
死因は、90%以上が水死でした。死因が明確になっている御遺体の95%は、水死だったのです。
もし津波が無ければ、 もし津波を防げれば、 もし津波から逃げ切れれば、
 14308名が助かったかもしれないのです。

私達は、津波被害から学ばなければなりません。
どうすれば津波を防ぐことができるのか、 どうすれば津波から逃げ切れるのか、
よく考えて、対策をしていかなければなりません。




非難を覚悟で言わせていただけるなら、世間は津波被害に対して意識が低いように思います。

津波被害への対策は、それほど聞こえてきません。
高台移転、防潮堤、避難訓練。それくらいでしょうか。

津波には、大小さまざまあります。
それぞれに、可能な対策は違ってくるでしょう。
ですが、論調は、全て東日本大震災の津波を基準としています。
このままでは、下手をすると、数メートルの津波の襲来でも被害を受けるかもしれません。
最近の報道を見ると、被災者への同情、あるいは追悼はありますが、
津波被害を繰り返さないための知恵はあまり見かけないように思います。


一方で、直接的な死者が一人もいない原発事故に対しては、厳しい論調が多いのが気になります。
何が何でも原発全廃!
その主張を通すために、カルデラ噴火まで持ち出してきます。
カルデラ噴火が起きれば、周辺の住民は全滅するでしょうが、そのことには全くお構いなしです。
原発を全廃できれば、誰が亡くなろうと関係ないかのようです。

原発事故で避難を余儀なくされている方は数多くいらっしゃいますが、
原発を全廃しても救われるわけではありません。
「原発事故被災者のために原発廃止を!」というのは、
もしかすると原発事故被災者をダシにしているだけなのかもしれません。



これらに共通するのは、単視眼的な思考です。
多くの問題に対して、一方向からの視点だけで議論されることが多いように思います。
被災者に共感する事は大切なことです。
ですが、彼らを助けるための行動は、様々な角度から見て考える必要があります。

確かに、原発事故は過酷です。長期に渡って立ち入る事が出来な土地もあります。
ですが、原発事故だけを見て廃炉を叫ぶなら、年間数千人の命を奪う車の廃止も訴えるべきです。
原発事故関連死の人数はもちろん、東日本大震災の犠牲者数を、この五年間の交通事故死者数は既に上回っています。
それでも車を廃止しないのは、全廃すれば社会が成り立たなくなることを理解できているからです。

これに比べると、目には見えにくい地球温暖化には無頓着です。
地球温暖化対策として、原発は重要なアイテムです。
「再生可能エネルギーを整備すれば、火力発電所を増やさずに原発を止められる」
この考えは、根本的に間違っています。
「再生可能エネルギーを整備すれば、火力発電所を止められる」と考えるべきです。

原発より先に、火力発電所を止めるべきなのです。
そのために、電気料金が高くなるとしても!

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