豊葦原中津谷のニニギ

食糧自給率の向上を目指して! (風の谷の生活)

<<豊葦原中津谷のニニギ>>

「なぜ、この谷のように暮らせぬのか」
腐海という危機を前にしても戦争に明け暮れる諸国を、ユパはこう嘆いています。
現在の地球が置かれている状況は、この台詞に表されているように思えませんか。
ならば、風の谷のように暮らしてみよう。
私なりの解釈の元、片田舎で自給自足型農業を始めることを決意したのです。

退院から2週間経ちました。
 
八時過ぎに家を出て、病院に向かいました。
電車は混雑が酷く、お腹に力が入り、手術痕に痛むほどでした。
 
病院に着くと、生命保険用の書類を受け取りに窓口に行きました。
続いて、二階に上がり、診察を受けました。
「手術の時に取ったリンパには、転移はありませんでした」
ここまでは、理想的な経過です。
「経過は、いいですね」
私もそう思います。
「あさってから仕事に復帰してもいいですか?」
すると、❝まだ復帰していなかったの?❞といった表情です。
私としては、主治医のOKをもらってから復帰しようと思っていたのですが。
「次は、五月に来てください。その次は、七月です。予約を入れておきましょう」
手元のPCで予約を入れ、プリントアウトした紙を戴きました。
 
診察後の待合室で、同じ日に手術を受け、同じ日に退院した人とお会いしました。
元気にされていて、嬉しくなりました。
その後、病棟に上がり、退院時に会えなかった看護士に挨拶をしてきました。
 
これで、仕事復帰への最後の関門を通過しました。

睡眠不足から、被害妄想に陥ってしまった私です。
この日の日記は22日に書いたのですが、その日まで被害妄想が続いていたようで・・・
 
【1月19日日曜日】
零時半
また、間が覚めてしまいましたが、お隣は静か。
 
一時過ぎ
隣が目を覚ましたらしく、電灯を点けて看護師に注意されていました。
看護師が出ていった後も、電動ベッドをいじったり、電灯を点けたり消したり、三十分おきくらいにゴソゴソしていました。
看護師が巡回に来ると大人しくして誤魔化すのですが、ナースコールで呼びつけるのです。
看護師の言葉に棘を感じますが、看護師には同情してしまいます。
 
四時頃
やたらと電動ベッドを動かしています。
動かし方が、それまでの大雑把な操作から、微調整を繰り返すところが違っていました。
おそらく、携帯電話を取ろうとしているのでしょう。
HCU室で携帯電話を使うとはふざけていると、心の中で憤慨。
 
六時、起床。
隣は、看護師に「携帯が無い」と訴えています。
看護師は、「ここに入っていますよ」と携帯を取り出して見せたようです。
 
七時、歩行訓練。
歩行訓練を兼ねて、歯磨きをしに行きます。
ただ歩くだけなのに、これが辛いのです。
昨日たてたばかりの目標の「病棟を歩いて移る」ことに、自信を無くしてしまいました。
 
九時、看護士交替。
交替した看護師とセンター試験の話題になりました。
彼女も、私同様、センター試験の経験者でした。
「天気が良かったですね」と大きな窓から青空を見上げました。
 
十時、病棟移動。
七東病棟へ移動です。
「車椅子で付いていくので、歩いてみてはどうですか」と看護師が言ってくれるので、点滴スタンドを転がしながら歩いてみました。
歩いてみると、意外に調子が良い!
余裕を持って歩ききれました。
入った部屋は、ナースステーションの隣。
ここで、硬膜下麻酔を抜いてもらいました。
 
十二時、昼食。
昼食の内容を見てビックリ。
ほとんど普通食。
うどんから始まり、鶏肉まであるのです。
念のため、看護士に確認したほどです。
食欲は無かったので、うどんを数本食べただけです。
看護師を栄養士に確認に行かせたのに、情けない食欲です。
 
十三時半
痛み止めを抜いたので、右腰から背中に至る鈍痛が我慢できなくなりました。
動き辛い状態になったので、ナースコールを使い、痛み止めをお願いしました。
 
十四時
家族が面会に来ました。
痛み止めの効果が出ていないので、しばらくは面会室で待ってもらいました。
その後、頑張ってみんなの所まで行ったのですが、十分くらいで限界を感じ、部屋に戻って横になってしまいました。
これを潮に、家族は帰っていきました。
 
十五時
初めての便が出ました。
真っ赤な便だったので、検体を取れませんでした。
大腸内の細菌の状態を見るために、便から検体を採ることになっていました。
医師に診せるので次回は流さないで見せてくれと、看護士に言われてしまいました。
 
十六時
左手首に痛みを感じ、見てみると、手首の血管が腫れていました。
ナースコールして、点滴を調整し直すてもらいました。
 
十九時、夕食。
五分粥を除けば、驚くほど普通の食事です。
食欲はなく、半分くらい食べてやめました。
看護師に便の話をすると、しばらく続く可能性があるとのこと。
気長で良いのだと、安心しました。
 
二十一時、消灯。
トイレに行きたくなった時に動けないと困るので、痛み止めを飲んでおきました。
 
二十二時
点滴が終わったらしく、看護師が静かに入ってきました。
左手首に点滴を固定していたテープを、看護師はべりっと剥がしました。
手首全体に広く貼られていたガムテープのようなテープを一気に剥がすのです。
痛いのなんのって!
でも、四夜連続の睡眠不足のお蔭?で、痛さも眠気に負けて気になりませんでした。

手術の翌日の日記から書きます。
入院当日から続いている寝不足は、ここに極まれり!
 
【1月18日土曜日】
昨夜は、寝られませんでした。
隣がうるさかったのです。
HCU室は時計を持ち込まないことになっていました。
だから、隣の患者さんは、看護師が来るたびに時刻を聞くのです。
夜中の見回りでも、時刻を聞くので、そのたびに浅い眠りから覚まされるのです。
おまけに、電動ベッドを繰り返し操作するのです。
「背中に麻酔が刺さっているので、危険です。操作する時はナースコールしてください」と看護師に注意されても、それを無視して操作するのです。
私は、血圧計が二時間毎に計測していることを看護師から聞いて知っていたので、それを基準にして大まかな時刻はわかっていました。
隣が看護師に聞く時刻で、誤差を修正することはありましたが、一晩中、何時頃かわかっていました。
逆に言えば、ずっと寝れなかったのです。
唯一、午前三時頃から起床時間まで、ウトウトしただけでした。
 
時刻不明
おそらく、七時台。
足に付けられていた血栓予防のエアマッサージャーが外されました。
足首から脹脛へ毎分一回の割合で動くのですが、気持ちのいい装置でした。
右手の血圧計、左手の血中酸素濃度センサー、鼻の酸素チューブも、外されました。
スッキリ、開放された気分です。
 
七時過ぎ
主治医がやってきました。
今日は土曜日。
「いつ休んでいるんですか?」と医師と看護師に言うと、笑っているだけ。
 
電動ベッドを起こしてみると、途端に暑くなり、汗が噴き出してきました。
気にせずに更に起こすと、今度は気持ち悪くなってしまいました。
だから、直ぐにベッドを戻しました。
 
私のベッドは、HCU室の窓側にありました。
でも、窓から見える景色は空だけです。
窓まで行けば、スカイツリーが見えるはずですが、ままなりません。
看護師が来た時に、「今日の目標は、HCU室の窓からスカイツリーを見ることです。明日の目標は、歩いて七東病棟に戻ることです」と宣言してしまいました。
その第一段階として、ベッドを起こす練習を再開しました。
 
レントゲン撮影のために、機材を持ち込まれました。
四人部屋だから、四回被爆することになります。
でも、レントゲン技師が避難する距離を見ていると、被爆はほとんど無いと考えて良さそうだとわかりました。
 
十二時
朝に続いて、ジュースが出ました。
朝は、アップルジュース、昼は、オレンジジュース。
 
十四時頃
歩行練習が始まりました。
HCU室を出て数メートル歩き、洗面台で座って歯磨きをするだけですが、それさえ辛いのです。
ベッドに戻ると、直ぐに体を水平にして体を休めました。
家族が面会に来たので、ティッシュを追加し、時計を取ってきてもらいました。
時計代わりの血圧計を外されたので、時刻がわからなくなりそうだったのです。
 
十五時頃
ガスが出ない内に、便意を感じました。
看護師の補助でトイレに行ったのですが、何も出ません。
なんと、看護士にお尻まで拭いてもらう始末。
情けない!
でも、この時に看護師さんが私の今日の目標を思い出し、窓まで行くのを手伝ってくれました。
青空を背景にスカイツリーを見て、今日の目標は完遂です。
 
十六時半
家族が帰った直後にガスが出ました。
隣は、家族に取って来させた携帯電話を弄っているところを看護師に注意されていました。
業を煮やした看護師は、携帯をサイドロッカーの小さな金庫の中に入れたようでした。
 
十八時半
夕方のジュースが出ました。
今回は、ピーチジュース。
 
二十時頃
「血栓予防の注射をします」
そう言うと、看護師はお腹に注射の針を刺しました。
針が入った瞬間にビクンと腹筋が痙攣しました。
人生で、最高に痛い注射でした。
 
二十一時
隣は、消灯後もひっきりなしに電動ベッドを動かしていました。
それが、三十分も続くのです。
電灯を点けては看護師に注意されるし、手術後の体を癒す状況ではありません。
「眠れないのでしたら、睡眠導入剤を出しましょうか」との看護師の提案を隣の患者さんが受け入れてくれたので、ほっとしました。
事実、隣が寝てくれた二時間ほどの間、私も寝る事ができました。
 
二十三時半
隣のベッド周辺が、異常に騒がしくて、目が覚めました。
何かを複数の人間が担ぎ上げるような掛け声と音。
何かを運び込む音と足音。
電気も点いていて、大勢の人間が入り乱れているのです。
隣がベッドから落ちたのでしょうか?
ただ、私はいつの間にか眠りに落ちていました。

今日は、入院三日目の日記から書きます。
この日は、手術当日でした。
 
【1月17日金曜日】
昨夜の睡眠導入剤は、飲みませんでした。
21時半頃に、自然に寝付いていました。
2時頃にトイレに行きたくて目が覚め、それ以降は寝られなくなってしまいました。
 
6時、起床。
病室がHCU室に変わるので、荷物をまとめなければなりません。
 
7時半、家族来院。
 
8時前、手術室に移動。
手術室の数に驚きました。
私が入ったのは、十五番の手術室でした。
おそらく、四番、九番、十三番が欠番のはずですが、それでも十二室もある計算。
手術室に入ると、幅六十センチほどの手術台に寝かされました。
下半身部分は柔らかい、不思議な作りです。
左手に輸液のラインを二つ確保。
左手中指には血中酸素濃度のセンサーのクリップ、右手にも血圧計。
指示通りに横向きになると、笑気ガスのマスクが顔の前に置かれました。
背中では、局部麻酔を四箇所も注射した後、硬膜下麻酔のカテーテルを入れていきます。
右の腰付近の二箇所に圧迫感。カテーテルで神経を圧迫していたのでしょうか。
硬膜下麻酔が終わり仰向けに戻ると、笑気ガスのマスクを付けられました。
「麻酔を入れます」と言うが、一向に眠くなりません・・・。
 
11時半ごろ?
麻酔が効いてこないと思ってましたが、瞬間的に眠りに落ちていたようです。
記憶がスパッと切れていて、意識が遠ざかる感覚が残っていないのです。
意識が戻ったのは、呼び掛けの声でした。
麻酔の説明で聞かされていた通り「手を動かしてください」と言われ、親指から順に曲げていき、逆順で開いてみせました。
二、三回はやるつもりでしたが、「はい、いいですよ」と言われ、ガッカリ!
「深呼吸してください」
お腹を膨らませるようにして深呼吸を繰り返します。
ただ、この後の記憶は途切れてしまいました。
 
12時過ぎ?
ガタガタ揺れるベッドの上で、意識が戻りました。
直ぐに部屋に入ったので、
「HCU室ですか」と声を掛けると、看護師が「そうです」と答えてくれました。
ベッドの位置が決まると、体中に色々な装置を取り付けられてしまいました。
左手の輸液ライン、左手中指の血中酸素濃度センサー、右手の血圧計はそのまま。
背中には硬膜下麻酔が刺さっているはず、鼻には酸素のパイプ、両足に血栓予防のエアマッサージャー、そして尿道カテーテル。
全部で八本もコードやパイプが、体に取り付けられているのです。
妙な感じです。
でも、意識はあるのですが、スッキリしない頭では、違和感を感じません。
手術した実感は無く、腹筋痛を感じる程度なのです。
 
12時半
装置の取り付けが終わり、家族が入ってきました。
時刻を聞くと、「十二時半」とのこと。
頭は働いておらず、手術時間を逆算することを考えもしませんでした。
窓の外は何も見えず、青い空が印象的でした。
顔を見て安心したらしく、家族は直ぐに帰っていきました。
 
4人部屋のHCU室には、次々に人が運び込まれてきました。
最後の人は、外が暗くなった後でした。
それぞれの家族は、現在時刻との差から、手術時間を逆算していました。
自分のも逆算すると、手術前の三十分、手術後の三十分を差し引いて、実質の手術時間が三時間半くらいでしょうか。
ほぼ、予定通りということでしょうか。
 
18時半?
最後の患者が運び込まれた少し後、今日の手術を全て終わったらしく、主治医が入ってきました。
「どうですか?」と言われ、「腹筋痛があるだけで快調です」と答えました。
事実、激しい腹筋運動した後のようでした。
 
昨日から一色も食べていないのですが、お腹は空きません。
ただ、HCUは夕食を配らなければならない患者は居ないので、静かなまま。
何かが足りない感じのまま、夜は更けました。
 
手術で失った体力を回復するため、そして入院して以来の睡眠不足を解消するため、ゆっくり体を休めようと思っていました。
ところが・・・・

今日は、入院二日目の日記から書きます。
日記に出てくる前夜の睡眠不足は、この先まで尾を引くのですが、この日は・・・
 
【1月16日木曜日】
夜中に何度も目が覚めてしまいました。
ほとんど一時間おきに目が覚め、五時以降は、ずっと起きていました。
 
病院の起床時刻は、6時です。
看護師さんが、電灯を点けて回ります。
7時。朝食よりも早く回診。
後で聞いたのですが、木曜日の回診は早いのだそうです。
「よく寝れましたか?」
「何度も目が覚めてしまいました」
「あしたは手術ですね。寝られないようなら睡眠導入剤を処方しましょう」
睡眠導入剤?
飲んだことはありません。
好奇心が湧きます。
 
8時半、下剤を飲みます。
これと前後して、食事が配られます。
でも、私のところには来ません。
明日の手術に備え、今日はおなかの中を空っぽにします。
 
9時。
剃毛とおへそのゴマ取りです。
処置台の上に仰向けに寝ます。
まずは、おへそのゴマ取りのはずでしたが、「きれいですね」と簡単に終わりました。
続いて・・・
「パンツを少し下げてください」
大腸カメラでお尻を見られてきた私は、羞恥心を失いかけています。
さっさと下げると、「そのくらいで十分です」とストップがかかりました。
バリカンで、ちょちょっと刈られ、すぐに終了。
「確認してもらいますので、待っていてください」
看護師は、もう一人の看護師を連れて戻ってきました。
ジロジロと剃毛の後を見られ、羞恥心が復活。
でも、こちらも問題なく終了。
 
10時。検温と血圧測定。
続けて、シャワーを浴びます。
ここでシャワーを浴びておかないとダメなんだそうです。
 
11時。下剤を飲みます。
 
12時。人工肛門の位置決めです。
私の病巣の場所でも、一時的に人工肛門を設けなければならない可能性があることは、入院初日に主治医から説明を受けていました。
「人工肛門は、筋肉の力で絞めるので、この辺に作る必要があります」
看護師さんは、私の右下腹を示します。
「でも、動いた時に剥がれると漏れてしまうので、お腹にしわができない場所を探さないとダメなんです」
意外に難しい注文です。
実際にしゃがんでみて、何本か補助線を書いて、良さそうな場所を探します。
「ここが良さそうですね。ここにしましょうか」
思ったよりも簡単に見つかり、ホッとしました。
決まった位置に印しを書き、上から透明なシールを張りました。
最後に、おへそを消毒して終了です。
なるほど。シャワーの前にはできない事だと納得しました。
「月曜日、パウチの貼り方をお教えします。月曜日に会いましょう」と看護師。
「月曜日には顔を見たくないですね」と冗談で切り返します。
彼女は笑って、「そうですね」と応えてくれました。
 
一時的な人工肛門は、小腸と大腸の繋ぎ目をパカッと切ってお腹から出します。
永久的な人工肛門が、大腸の最後の部分をお腹から出すのとは違っています。
なので、人工肛門を設ける位置が、右か、左かの違いがあります。
 
14時半。
薬剤師が、術前術後の投薬の説明をしてくれました。
全部合わせると、9錠もあります。
こんなにいっぱいの薬を飲んだことがないので、びっくりでした。
 
15時。投薬。
 
17時。
麻酔医からの説明を、家族と一緒に聞きました。
硬膜下麻酔。全身麻酔。筋弛緩剤。呼吸の管理。
手術をするために、力ずくで眠らされるのだと、何となく理解しました。
 
18時。回診。
「あしたは手術ですね。頑張りましょう」
全身麻酔なのにどう頑張ればいいのだろうと、心の中で苦笑い。
 
19時。検温と血圧測定。
熱は36度台。体調は問題なし。
 
21時。消灯。
でも、なかなか寝付けません。
睡眠導入剤を処方してもらいましたが、「下剤が効いてトイレに行きたくなるかも」って気になり、飲まずにいました。
睡眠導入剤は、翌日の手術に影響しないように、タイムリミットがありました。
深夜、タイムリミットになった時に、看護師さんがそっと持ち去りました。

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