新・風の谷の生活

食糧自給率の向上を目指して!

「なぜ、この谷のように暮らせぬのか」
腐海という危機を前にしても戦争に明け暮れる諸国を、ユパはこう嘆いています。
現在の地球が置かれている状況は、この台詞に表されているように思えませんか。
ならば、風の谷のように暮らしてみよう。
私なりの解釈の元、片田舎で自給自足型農業を始めることを決意したのです。

今日は、1月26日の日記から転載します。
 
2月22日にマイアミに到着したホーランドアメリカラインのクルーズ客船「フェーンダム」で、ノロウィルスの集団感染が疑われています。
ホーランドアメリカラインと言えば、私の中では老舗のクルーズ会社。
その老舗でも食中毒を防ぎきれないというのは、ちょっとショックでもあります。
 
さて、病院食ですが、悪くないのです。
お粥は苦手ですが、それ以外は全く問題ありませんでした。
ただ、食いしん坊の私には量が足りませんでした。
その証拠に体重が・・・
 
 
【1月26日 日曜日】
六時、起床。
 
六時半、体重測定。
院内の放送で、「体重測定をしますので、ステーション前にお集まりください」と流れました。
早速、ステーションに行きました。
体調の良い人は出足が良く、不覚(?)にも私は三番目でした。
体重は、秘密です!
きのうから0.7キロ減っていました。
 
七時、朝食。
食後は、0.6キロ増えていました。
体調が良いので、暇で仕方がありません。
ディルームの書棚から「のぼうの城」の上下巻を持ってきて読み始めました。
 
十時、検温。
だが、検診はまだ来ない。
 
十時半
見たことがある顔がナースステーションに!
仕事の関係者が、見舞いに来てくれたのです。
直ぐに声を掛け、ディルームに移動。
お見舞いの品も頂きました。
 
十一時過ぎ
もう一人入院しているそうで、これから見舞いの梯子だそうです。
次の病院へと移動していきました。
シャワーを浴びようと思ったのですが、着替えが無いのでシャワー予約をキャンセルしました。
 
十二時、昼食。
 
十五時
家族が見舞いに来ました。
ディルームは満員。
病棟に入る前に見た一階も混んでいたとのこと。
仕方がないので、部屋で静かに過ごしました。
 
十六時半
家族は帰っていきました。
暇になったので、「のぼうの城」の続きを読みました。
 
十七時、回診。
「明日、主治医が来るので、退院を聞いてみましょう」とのこと。
 
十八時、夕食。
「のぼうの城」の続きを読みます。
 
二十時、検温。
 
二十一時、消灯。

今日は、1月25日の日記から転載します。
この日、私と同じ日に胃癌で入院された方が翌日に退院すると聞き、少し焦り始めたのを覚えています。
 
 
【1月25日土曜日】
六時、起床。
水平線は、雲が掛かっています。
それでも、窓際の椅子には人がいました。
体重は、昨日から一キロ減っていました。
 
七時、朝食。
足りない。
全然足りないのです。
パッと見ただけで、「これだけ?」と思ってしまうのです。
食欲が出てきている証拠です。
食後の体重は、きのうより五百グラムくらい落ちていました。
食欲はあるので、病院食が足りないのでしょう。
 
十時、検温。
続いて回診。
「病院食が足りないので、牛乳を足してもいいですか?」と聞くと、「ゆっくりなら」とのこと。
ディルームに出ると、入院時に一緒にVTRを見た人が、「明日の退院が決まりました」と言うのです。
胃の切除手術を同じ十四日にしていたし、私と比べて、経過はそれほど速くなかったはずですが、先に退院することになりました。
寂しさと焦りを感じました。
でも、ラッキーなことに、雑誌テレビジョンをもらいました。
今日から二週間分の番組表が記載されている新しいデレビジョンです。
その方は、これを買った途端に退院が決まったそうです。
 
十一時半
シャワーを浴びました。
 
十二時、昼食。
 
十三時
大河ドラマを見ました。
テレビは、プリペイドカード方式です。
テレビジョンをもらったので、見たいテレビだけを見れます。
 
十三時半
家族が面会に来ました。
 
十四時半
家族は帰宅。
岩海苔のような便が続いていたが、量を除いて、手術前と同じ状態に戻りました。
 
十八時、夕食。
 
二十時、検温。
 
二十一時
本来は消灯時刻なのですが、中々消灯になりません。
 
二十二時
トイレに行った際にナースステーションの様子を見ると、看護士が気付いて消灯に来ました。
何か事務仕事に追われていたのでしょう。

今日は、1月24日の日記から転載します。
体重が減り続けていました。
手術の翌日の体重測定では、僅かですが手術前より増えていました。
でも、それ以降は体重は減り続けていました。
 
 
【1月24日金曜日】
六時、起床。
朝の廊下を一周する習慣になりました。
東の空からは、何とか朝日が見れそうですが、北西の窓からは富士山は見えませんでした。
北の窓から見る東京タワーは、もう電飾が消えています。
しばらくすると、東の窓は、常連が陣取ってしまいました。
 
七時、検温と採血。
 
八時、朝食。
朝食後に計った体重は、昨日から更に減っています。
前の病室に居る時の貯尿量を思い出すと、十六日から十七日の二十四時間で、約二千八百、翌日は、二千四百でした。
手術時の輸液は落ち着いてきているようですが、体重は減り続けています。
 
九時頃、回診。
 
九時半ごろ、家に電話。
十五時から栄養士の相談があるので、早めに来た方が良いと伝言。
 
十時、レントゲン。
すぐに順番が回ってきたので、助かります。
前回、前々回と一緒だった人と、また一緒になりました。
ディルームで聞いた話だと、間もなく七十歳だそうです。
癌の位置は、上行結腸から横行結腸になる部分にあったそうです。
私の癌は、S字結腸(直腸)にありました。
 
十一時半
シャワーを浴びました。
一般病棟に上がった時から使っていたオムツを、今日からやめる事にしました。
五日前は、体を思うように動かせず、便の不安が強くて、念のために成人用のおむつを自主的にしていました。
一度もお世話になることはありませんでしたが、不安を取り除くことはできました。 
シャワーを浴びる時間は、今日からこの時間に変えました。
この後の行動を考えると、昼食の直前にシャワーを浴びるのが良いと気付いたのです。
 
十二時、昼食。
 
十五時前
家族が面会に来ました。
十五時から栄養士の相談があるので、ディルームで待つように告げました。
一階に下りると部屋が複数あって、どの部屋かわからなくなってしまいました。
予定表を持ってこなかったのを反省し、部屋から予定表を持って出直しました。
十五分ほどで、栄養士の話は終わりました。
退院後の食事療法の説明でした。
内容は、ちょっと意外でした。
豆類、きのこ類、刺激物が悪いが、肉や魚は問題ないというのです。
特に繊維の多い筍やゴボウ、レンコンは、避けた方が良いそうです。
面白いのが納豆!
良質のたんぱく質を含んでいるので、本来はお奨め食材ですが、豆のままなので、グレーゾーンだそうです。
「健康食品がダメで、肉類がいいんですね?」
「そうですね。でも、刺激物はだめですよ」と釘を刺されました。
 
十六時、家族は帰宅。
病室に戻る時に担当の看護士さんを見かけたので、声を掛けました。
処置があると、聞いていたのです。
すると、「今、やりましょう」とのこと。
処置は、トイレが近くなってお尻が腫れていないか確認することと、軟膏で処置することでした。
お尻をポロリと出すと、「ちょっと爛れているので、軟膏を塗りましょう」と、処置してくれました。
 
十七時、回診。
 
十八時、夕食。
ご飯が足りません。
お腹の調子が良くなり、食欲が病院食の量を超えてしまったのです。
もちろん、完食。
 
二十時、検温。
 
二十一時、消灯。

今日は、1月23日の日記から書きます。
 
この日、入院して初めて屋上庭園に出てみました。
そこには、中学生くらいの少女が居て、庭園の端から端まで速足で何度も往復していました。
彼女も、癌と闘っているのです。
歩いていたのは、リハビリのためなのか、手術に備えて体力を維持するためなのか、それとも別の理由なのか、私には分かりません。
今は元気になって退院していてほしいし、そうなっていると信じています。 
 
 
【1月23日木曜日】
 
六時、起床。
起きて歩いてみました。
病棟の窓は、方角ごとに見えるものが違います。
東の窓は、日の出が見えます。
北東の窓はスカイツリーが、北の窓は東京タワーが、北西の窓は富士山が見えます。
東の窓から見ると、水平線付近は雲がかかっていました。
そのせいか、今朝は常連さんがいません。
北西の窓に移動すると、淡いピンク色の富士山が見えました。
木曜日は回診時間が早いので、早々に部屋に戻ることにしました。
 
七時、朝食。
完食です。
体重を計ると、約1kg減っていました。
いっぱい小水が出ているので、そのせいで体重が減ったのでしょう。
 
九時
看護士交替。
今日と明日の予定を聞くと、明日は栄養士の相談があるだけだそうです。
 
十時
ディルームで過去の日記を書き始めました。
 
十一時
シャワーを浴びました。
まる一週間ぶりのシャワーは、すごく気持ち良かったです。
 
十二時、昼食。
昼食後、ベッドで昼寝。
 
十四時半
家族が面会に来たので、屋上庭園に行ってみました。
十代の少女も、散歩していました。
彼女も闘病中なのでしょう。
屋上庭園と同じ階にある喫茶に、場所を移しました。
メニューは多くありませんでしたが、オレンジジュースを注文しました。
 
十六時
家族は帰宅。
 
十七時、回診。
 
十九時、夕食。
おやつを含めて、全て完食。
 
二十一時、消灯。
まる二十四時間、痛み止め無しで動くことができたので、勇気を持って痛み止めを止めることにしました。
でも、ちょっと不安。

この日、一般病室に移ったことを機に、手術日以降の日記をまとめ始めました。
最後の関門を越えたこともあり、この日からは一気に回復していったことを覚えています。
 
【1月22日水曜日】
六時、起床。
 
七時、朝食。
初めて完食しました。
痛み止めを飲まないで頑張ってみることにしました。
調子は良いし、気分も良かったので、昼間なら大丈夫だろうと思ったからです。
 
八時過ぎ
部屋の引越しとレントゲンがダブり、ばたばたしました。
でも、月曜日とは違って、レントゲンの順番が直ぐに回ってきたので、レントゲンから済ませることができました。
レントゲンでは、体の回復ぶりを実感できました。
月曜日には、撮影台から起き上がるのに苦労したのですが、今日は手助け無しに起き上がれました。
 
十時前
引越しをしました。
新しい病室は、七五三号室。
それも一番ベッド。
七・五・三・一。
考えてみると、この病院でこんなに綺麗な番号になる病室は、他に無さそうです。
引っ越しと同時に、おやつが届きました。
当たり前ですが、部屋を替わったことをちゃんと把握していたようです。
 
十二時、昼食。
完食。
便は、血が混じらなくなりましたが、真っ黒で岩海苔のような状態です。
痛み止めや血栓防止の薬の影響なのでしょう。
 
十四時過ぎ
家族が面会に来ました。
院内を案内してまわりました。
気分が晴れた証拠です。
少し傷が痛みますが、気になりません。
 
十六時
家族は帰っていきました。
この時間、看護師の交代と回診があるので、ベッドで大人しくしています。
看護師は、十六時四十五分に交代するのですが、交代と同時に回ってきます。
 
十九時、夕食
朝から完食が続いています。
体調も良いです。
 
二十時
結局、痛み止めを飲むことにしました。
痛みはあいませんでしたが、夜中に痛みでトイレに行けなくなるのが怖かったのです。
 
二十一時、消灯。

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