新・風の谷の生活

食糧自給率の向上を目指して!

「なぜ、この谷のように暮らせぬのか」
腐海という危機を前にしても戦争に明け暮れる諸国を、ユパはこう嘆いています。
現在の地球が置かれている状況は、この台詞に表されているように思えませんか。
ならば、風の谷のように暮らしてみよう。
私なりの解釈の元、片田舎で自給自足型農業を始めることを決意したのです。

今日は、入院七日目の日記から。
 
 
【1月21日火曜日】
六時、起床。
 
七時前
血栓防止の注射。ちょっと痛い。
血栓予防の注射はお腹に打つので痛いのですが、看護師さんによってはほとんど痛くない時もあるのだなと、気付きました。
朝食は、七割くらいを食べることができました。
少し、食欲が出てきました。
 
八時
公衆電話で仕事の関係者に電話しました。
手術は成功したこと、仕事復帰は三週間後くらいになること等を話しました。
便が出たのですが、状態は三回目と同レベル。
今回も、検体は採れませんでした。
 
十時
また便が出ましたが、これも三回目と同レベル。
なかなか前に進みません。
 
十二時、昼食。
直後に、便が出ましたが、またまた三回目と同レベル。
 
十三時
腰や傷に痛みを感じ、痛み止めを飲むことにしました。
今日だけでも四回目の便
でも、血の量が増えて、しかも真っ黒な便でした。
通算七回目の便でこの状態になり、ショックを受けて寝込んでしまいました。
 
十四時前
重い体を起こして、ミニコンサートを聴きに部屋を出ました。
今日の目標は、「一階で行われるミニコンサートを聴く」でしたので、気持ちを入れ替えて出かけました。
ディルームの付近で家族に会い、一緒に一階に下りることにしました。
音大の学生によるボランティアで行われるミニコンサートは、ピアノとソプラノの組み合わせです。
ベーシックな曲を何曲か聴いていたのですが、終了直前に便意を感じ、七階に戻りました。
八回目の便には血が混じっていませんでした。
検体も採れ、これで最後のハードルを越えたことになりました。
 
十五時半頃
家族は帰っていきました。
 
十七時頃
回診です。
便が正常になったことを伝えましたが、返事は一言、「順調です」
 
十九時頃
主治医が単独で回診に来ました。
ざっと見て、こちらも「順調です」
 
二十時頃
看護師が来ました。
「明日、部屋が移動しますね」
一般病室に移動するという意味です。
「助かります。トイレが遠くて大変でしたから・・・」
 
二十一時
今夜も、念のため痛み止めを飲んで、就寝。

一般病棟に戻った時、家族がi-podを持ってきてくれました。
i-podには、クラッシック、ポップス、アイドル等々、いろんなジャンルの曲が入っていました。
半強制のノンジャンルですが、意外や意外! アイドルがGoodなのです。
入院中の私のお薦めは、❝AKB48❞です。これが一番!!
次が、ちょっと差があって❝嵐❞です。
本当は、ドリカムやコブクロが好きですが、入院中の体調では少し重いのです。
でも、AKB、特にヘビーローテーションは、明るくて楽しくて最高です。
折しも、大島優子さんの卒業発表でヘビーローテーションが再ブームとなっている頃でした。
アイドルの存在価値を知った二週間でした。
 
 
【1月20日月曜日】
六時、起床。
夜中に何度か目が覚めましたが、よく眠れました。
十六日の夜から三晩連続で寝られない日が続いていたので、一気に疲れが取れた気分です。
 
七時、朝食。
一緒に痛み止めを飲みました。
今の病室は、本来は重症患者用なので、トイレがありません。
二十メートルほど離れた障害者用のトイレを利用することになります。
そこで、出た小水を貯尿器に溜めていくのです。
歩く距離があるので、傷が痛むとトイレに行かれなくなってしまいます。
痛み止めを飲んでも、効き始めるまでに一時間くらい掛かるので、先を見越して飲んでおく必要があります。
でも、点滴が無くなったので、随分身軽になりました。
 
十時、おやつ。
午前中にもおやつがあることを始めて知りました。
入院初日は、昼食からでした。二日目は絶食でした。手術当日も絶食でした。四日目は、ジュースだけ。五日目も、ゼリーだけでした。
だから、入院して初めて十時のおやつを食べました。
直後に二回目の便が出ましたが、昨夜より少しマシなだけで、やはり赤い便です。
検体は取れませんでした。
 
十一時
レントゲンがあると聞いていたのですが、時間が決まらずに部屋で待っていると、「髪を洗いませんか?」と声を掛けられました。
「レントゲンの順番を待っているんですが」
「大丈夫ですよ。レントゲンは、多少の融通が利くから・・・」
「それなら」と、ついて行きました。
病棟に洗髪室があることを初めて知りました。
洗髪は先週の木曜日以来なので、すっきりとしました。
 
洗髪室から戻ると、ちょうどレントゲンの呼び出しがありました。
エレベータホールで他の患者さんと一緒になりました。
行き先が同じだったので、一緒に行くことにしました。
レントゲンは、立位で二枚、ベッドで一枚撮影します。
でも、ベッドから起き上がる際、傷が痛み、技師に手助けしてもらう始末でした。
 
十二時、昼食。
 
十四時半
家族が面会に来ました。
 
十六時頃
便が出ました。
過去の二回に比べると、血の量が減った気がします。
看護士は、念のため、医師に見てもらうようにしてくれました。
 
十八時、夕食。
続けて回診もありました。
便を見た若い医師も一緒に回診に来ていました。
「便の方は、もう少し様子を見てみましょう」とのこと。
段々と血の量が減っているので、次か、次の次あたりで、正常に戻ると期待。
 
二十一時
痛み止めを飲んでおきました。
夕方から、傷が痛み始めていました。
夜中に痛むことが怖いので、痛み止めは先に飲んでおきます。
いつまでも痛み止めに頼るわけにはいかないので、少しずつ減らしていこうと思います。

退院から2週間経ちました。
 
八時過ぎに家を出て、病院に向かいました。
電車は混雑が酷く、お腹に力が入り、手術痕に痛むほどでした。
 
病院に着くと、生命保険用の書類を受け取りに窓口に行きました。
続いて、二階に上がり、診察を受けました。
「手術の時に取ったリンパには、転移はありませんでした」
ここまでは、理想的な経過です。
「経過は、いいですね」
私もそう思います。
「あさってから仕事に復帰してもいいですか?」
すると、❝まだ復帰していなかったの?❞といった表情です。
私としては、主治医のOKをもらってから復帰しようと思っていたのですが。
「次は、五月に来てください。その次は、七月です。予約を入れておきましょう」
手元のPCで予約を入れ、プリントアウトした紙を戴きました。
 
診察後の待合室で、同じ日に手術を受け、同じ日に退院した人とお会いしました。
元気にされていて、嬉しくなりました。
その後、病棟に上がり、退院時に会えなかった看護士に挨拶をしてきました。
 
これで、仕事復帰への最後の関門を通過しました。

睡眠不足から、被害妄想に陥ってしまった私です。
この日の日記は22日に書いたのですが、その日まで被害妄想が続いていたようで・・・
 
【1月19日日曜日】
零時半
また、間が覚めてしまいましたが、お隣は静か。
 
一時過ぎ
隣が目を覚ましたらしく、電灯を点けて看護師に注意されていました。
看護師が出ていった後も、電動ベッドをいじったり、電灯を点けたり消したり、三十分おきくらいにゴソゴソしていました。
看護師が巡回に来ると大人しくして誤魔化すのですが、ナースコールで呼びつけるのです。
看護師の言葉に棘を感じますが、看護師には同情してしまいます。
 
四時頃
やたらと電動ベッドを動かしています。
動かし方が、それまでの大雑把な操作から、微調整を繰り返すところが違っていました。
おそらく、携帯電話を取ろうとしているのでしょう。
HCU室で携帯電話を使うとはふざけていると、心の中で憤慨。
 
六時、起床。
隣は、看護師に「携帯が無い」と訴えています。
看護師は、「ここに入っていますよ」と携帯を取り出して見せたようです。
 
七時、歩行訓練。
歩行訓練を兼ねて、歯磨きをしに行きます。
ただ歩くだけなのに、これが辛いのです。
昨日たてたばかりの目標の「病棟を歩いて移る」ことに、自信を無くしてしまいました。
 
九時、看護士交替。
交替した看護師とセンター試験の話題になりました。
彼女も、私同様、センター試験の経験者でした。
「天気が良かったですね」と大きな窓から青空を見上げました。
 
十時、病棟移動。
七東病棟へ移動です。
「車椅子で付いていくので、歩いてみてはどうですか」と看護師が言ってくれるので、点滴スタンドを転がしながら歩いてみました。
歩いてみると、意外に調子が良い!
余裕を持って歩ききれました。
入った部屋は、ナースステーションの隣。
ここで、硬膜下麻酔を抜いてもらいました。
 
十二時、昼食。
昼食の内容を見てビックリ。
ほとんど普通食。
うどんから始まり、鶏肉まであるのです。
念のため、看護士に確認したほどです。
食欲は無かったので、うどんを数本食べただけです。
看護師を栄養士に確認に行かせたのに、情けない食欲です。
 
十三時半
痛み止めを抜いたので、右腰から背中に至る鈍痛が我慢できなくなりました。
動き辛い状態になったので、ナースコールを使い、痛み止めをお願いしました。
 
十四時
家族が面会に来ました。
痛み止めの効果が出ていないので、しばらくは面会室で待ってもらいました。
その後、頑張ってみんなの所まで行ったのですが、十分くらいで限界を感じ、部屋に戻って横になってしまいました。
これを潮に、家族は帰っていきました。
 
十五時
初めての便が出ました。
真っ赤な便だったので、検体を取れませんでした。
大腸内の細菌の状態を見るために、便から検体を採ることになっていました。
医師に診せるので次回は流さないで見せてくれと、看護士に言われてしまいました。
 
十六時
左手首に痛みを感じ、見てみると、手首の血管が腫れていました。
ナースコールして、点滴を調整し直すてもらいました。
 
十九時、夕食。
五分粥を除けば、驚くほど普通の食事です。
食欲はなく、半分くらい食べてやめました。
看護師に便の話をすると、しばらく続く可能性があるとのこと。
気長で良いのだと、安心しました。
 
二十一時、消灯。
トイレに行きたくなった時に動けないと困るので、痛み止めを飲んでおきました。
 
二十二時
点滴が終わったらしく、看護師が静かに入ってきました。
左手首に点滴を固定していたテープを、看護師はべりっと剥がしました。
手首全体に広く貼られていたガムテープのようなテープを一気に剥がすのです。
痛いのなんのって!
でも、四夜連続の睡眠不足のお蔭?で、痛さも眠気に負けて気になりませんでした。

手術の翌日の日記から書きます。
入院当日から続いている寝不足は、ここに極まれり!
 
【1月18日土曜日】
昨夜は、寝られませんでした。
隣がうるさかったのです。
HCU室は時計を持ち込まないことになっていました。
だから、隣の患者さんは、看護師が来るたびに時刻を聞くのです。
夜中の見回りでも、時刻を聞くので、そのたびに浅い眠りから覚まされるのです。
おまけに、電動ベッドを繰り返し操作するのです。
「背中に麻酔が刺さっているので、危険です。操作する時はナースコールしてください」と看護師に注意されても、それを無視して操作するのです。
私は、血圧計が二時間毎に計測していることを看護師から聞いて知っていたので、それを基準にして大まかな時刻はわかっていました。
隣が看護師に聞く時刻で、誤差を修正することはありましたが、一晩中、何時頃かわかっていました。
逆に言えば、ずっと寝れなかったのです。
唯一、午前三時頃から起床時間まで、ウトウトしただけでした。
 
時刻不明
おそらく、七時台。
足に付けられていた血栓予防のエアマッサージャーが外されました。
足首から脹脛へ毎分一回の割合で動くのですが、気持ちのいい装置でした。
右手の血圧計、左手の血中酸素濃度センサー、鼻の酸素チューブも、外されました。
スッキリ、開放された気分です。
 
七時過ぎ
主治医がやってきました。
今日は土曜日。
「いつ休んでいるんですか?」と医師と看護師に言うと、笑っているだけ。
 
電動ベッドを起こしてみると、途端に暑くなり、汗が噴き出してきました。
気にせずに更に起こすと、今度は気持ち悪くなってしまいました。
だから、直ぐにベッドを戻しました。
 
私のベッドは、HCU室の窓側にありました。
でも、窓から見える景色は空だけです。
窓まで行けば、スカイツリーが見えるはずですが、ままなりません。
看護師が来た時に、「今日の目標は、HCU室の窓からスカイツリーを見ることです。明日の目標は、歩いて七東病棟に戻ることです」と宣言してしまいました。
その第一段階として、ベッドを起こす練習を再開しました。
 
レントゲン撮影のために、機材を持ち込まれました。
四人部屋だから、四回被爆することになります。
でも、レントゲン技師が避難する距離を見ていると、被爆はほとんど無いと考えて良さそうだとわかりました。
 
十二時
朝に続いて、ジュースが出ました。
朝は、アップルジュース、昼は、オレンジジュース。
 
十四時頃
歩行練習が始まりました。
HCU室を出て数メートル歩き、洗面台で座って歯磨きをするだけですが、それさえ辛いのです。
ベッドに戻ると、直ぐに体を水平にして体を休めました。
家族が面会に来たので、ティッシュを追加し、時計を取ってきてもらいました。
時計代わりの血圧計を外されたので、時刻がわからなくなりそうだったのです。
 
十五時頃
ガスが出ない内に、便意を感じました。
看護師の補助でトイレに行ったのですが、何も出ません。
なんと、看護士にお尻まで拭いてもらう始末。
情けない!
でも、この時に看護師さんが私の今日の目標を思い出し、窓まで行くのを手伝ってくれました。
青空を背景にスカイツリーを見て、今日の目標は完遂です。
 
十六時半
家族が帰った直後にガスが出ました。
隣は、家族に取って来させた携帯電話を弄っているところを看護師に注意されていました。
業を煮やした看護師は、携帯をサイドロッカーの小さな金庫の中に入れたようでした。
 
十八時半
夕方のジュースが出ました。
今回は、ピーチジュース。
 
二十時頃
「血栓予防の注射をします」
そう言うと、看護師はお腹に注射の針を刺しました。
針が入った瞬間にビクンと腹筋が痙攣しました。
人生で、最高に痛い注射でした。
 
二十一時
隣は、消灯後もひっきりなしに電動ベッドを動かしていました。
それが、三十分も続くのです。
電灯を点けては看護師に注意されるし、手術後の体を癒す状況ではありません。
「眠れないのでしたら、睡眠導入剤を出しましょうか」との看護師の提案を隣の患者さんが受け入れてくれたので、ほっとしました。
事実、隣が寝てくれた二時間ほどの間、私も寝る事ができました。
 
二十三時半
隣のベッド周辺が、異常に騒がしくて、目が覚めました。
何かを複数の人間が担ぎ上げるような掛け声と音。
何かを運び込む音と足音。
電気も点いていて、大勢の人間が入り乱れているのです。
隣がベッドから落ちたのでしょうか?
ただ、私はいつの間にか眠りに落ちていました。

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