LGBTのタレントが自殺したとのニュースが、流されています。

生前を知る人々は、追悼の言葉と共に、ネット上の書込みで傷ついたらしいことを指摘しています。


私は、このタレントについては、書いたことがありませんが、自分のことを中心に考え、家族は二の次にしている印象でした。
まぁ、そんなタイプの人間は五万といるので、いちいち気にもしていませんでした。

ただ、自殺となると、ちょっと想いも変わってきます。



9年あまり前、直腸癌の手術のために入院していた時、子供の入院患者も、多く見かけました。

松葉杖の子、車椅子の子、中庭を黙々と歩く子、色々な子供達を見ました。
あの子達は、それぞれに必死に小児癌との闘病生活を送っていたのです。
私が見かけた子供たちは、今はみんな元気になったと信じていますが、不幸にしてこの世を去らざるを得なかった子もいたかもしれません。

そんなことを考える時、若くして自殺するのは、納得できないのです。



LGBTは、自殺率が高いと聞きます。
それだけ、悩みの度合いも、それ以外の人々より深いのかもしれません。

一方で、物心ついた頃には小児癌で闘病生活していて、満足に学校にも行けない子供達は、悩んでいないのでしょうか。
そんな馬鹿な話はないですよね。
このような子供は、LGBTで悩む前の苦しみと闘っているのです。

今、飢餓に苦しむ子供達が、世界には数千万人もいます。
ウクライナやシリアといった紛争地帯の子供達は、明日の命も保証されていません。


「LGBTじゃないから、苦しみがわからないのだ」と言うなら、LGBT以外の苦しみを全て理解しているのでしょうか。
LGBTの全員が自殺しているわけではなく、自殺は、少数派です。
自分自身や取り巻く環境の中で、何とか折り合いをつけて生きているのです。
であるなら、LGBTであっても、ネットの書込みがあっても、自殺の理由にできるのでしょうか。


世の中で、悩みも苦しみもない人なんか、いやしませんよ。
周りから見れば羨ましいギフテッドでさえ、ほとんどが悩みを抱えていると言うのです。
悩みがないと答えた人でさえ、「そんなものは、悩みの内に入らない)と、前向きに考えているだけです。

健康で、しかも五体満足で、何が不足なのですか。
平和な日本で、交通事故死ぐらいしか命を脅かされる心配もないのです。
何が悩みなのですか。

闘病中の子供や、紛争地の子供に、「代わってあげる」と言われたら、入れ替わるのでしょうか。
子供達が耐えている環境や状況に、耐えられるでしょうか。



命より重大な悩みなんか、この世に存在しません!

生きているから、悩めるのです。
悩むのは苦しいことですが、幸せなことでもあるのです。

一瞬でも良いから、ただ生きるためだけに必死な人々のことを、思い出してほしいのです。
そして、自分の悩みを見つめてほしいのです。
あるいは、周囲や公的な相談窓口に、助けを求めてほしいのです。

解決するとは言いませんが、糸口が見つかるかもしれません。
自殺する前に、このくらいはできるはずです。