原発事故と交通事故の話に戻りましょう。

交通事故を防ぐために自動車を廃止しろと主張しているのではありません。

そんな主張を展開していったら、人類は消滅する以外に道は無くなります。


 

人類が生きていく限り、事故は防ぎきれません。

人類が生きていく限り、環境破壊は続きます。

 

一方で、環境破壊は、人類の損亡に関わってきます。

人類自身のために、環境破壊は小さく抑えなければならないのです。

その観点から、自動車はどうしていくべきなのか、原発はどうしていくべきなのか、地球温暖化防止を含む環境破壊を考えていかなければならないのです。

つまり、メリットとデメリットを正しく評価し、あるべき方向性を得なければならないのです。

その結果、原発廃止の結論になるのであれば、それは仕方がないことです。


 

現状の反原発派は、原発事故をなくすための方策の議論には加わりません。

あくまでも、原発そのものを無くしたいのであって、原発事故を無くす事には無関心です。

無関心は、更に広がり、原発の代替とする再生可能エネルギーの『負』の部分にも関心がありません。

せいぜい、「原発事故よりマシ」との考え方で済ませてしまいます。

前述のように、再生可能エネルギーの建設と運用で必ず発生すると環境破壊が、もしかしたら起きるかもしれない程度の確率の原発事故よりマシと考えるべきなのか、デメリットについて正しく評価すべきです。

 

もう一つ付け加えるなら、妥協点を考えない姿勢に問題があります。

理想を掲げるのは良いのですが、理想に近づけていくのではなく、いきなり理想を達成しようとする考えは如何なものかと思います。

これでは、理想を達成するか、理想を完全に断念するかの、二者択一となってしまいます。

しかも、背反の問題が存在するので、必ずしも多数派とはなれない条件下にあるのです。

理想を押し通そうとしても、妥協点がないので議論ができないのです。

 


私の『再稼動派』ですが、『推進派』ではないとの考えは、妥協の産物なのです。


私は、東日本大震災前から原発は廃止すべきと考えていました。

その理由は、使用済核燃料の最終処分場が決まっていないこと、原発本体の解体後も敷地内に原子炉等の廃材を遮蔽・保管し続けなければならないためです。

つまり、一度でも原発として使用した土地は、半永久的に利用方法に制限を受け続けるのです。

 

ですから、震災で原発事故が発生した時は、これで無知な一般大衆も反原発に動くだろうと、期待もしました。

 

一方で、震災と前後して調べ始めた地球温暖化の重大さに気付き、考えを修正してきました。

その妥協の産物が、『再稼動派』ですが『推進派』ではないスタンスなのです。