アメリカのノースウェスタン大学の心理学教授らが、
「英語より、中国語、韓国語、日本語の方が算数の習得に有利だ」と発表しました。
 
彼の主張を整理すると、英語では、「11」から「20」は、「イレブン」「トゥエルブ」のように独立した言葉があるが、中国語等では、「十」と「一」、「十」と「二」のように表現されるので、数字の概念を理解しやすいということです。

「浅い!」
江川さんではありませんが、彼の主張の根拠について、私はそう感じました。
 
算数を理解する上で、数字の表現から見た場合に限定しても、彼は数字の読みだけしか考慮していません。
記述を考えると、アラビア数字を使う英語の方が優れています。
漢字で記述すると、桁が飛んだ場合の数字の把握は、容易ではありません。
例えば、「1002」は「千二」となり、百と十の位が飛んでいる事を直感的に掴む事は、難しいでしょう。
 
 
この内容だと、ただの揚げ足取りのレベルなので、別の視点で見てみましょう。
 
それは、式の読み上げです。
(1+2)×(3+4)
これを日本語で書くと、
「1と2を足したものに、3と4を足したものを掛ける」となります。
私のつたない英語では、
「Multiply by what added 3 and 4 to what added 1 and 2.」でしょうか。
 
これを式に書くと、日本語は、「1、2、+、3、4、+、×」
英語は、「×、+、3、4、+、1、2」となります。
 
英語の表現を使って計算しようとすると、計算途中の状態は算術演算子の「×」だったり、数字の「7」だったりと複雑になります。
しかも、最初の算術演算子を計算の最後で使う場合もあります。
 
その点、日本語の表現では、計算の途中段階は数字ですし、ほぼ計算の順番に算術演算子が出てきます。
 
コンピュータに詳しい方は、日本語の表現は、逆ポーランド記法に似ていると、ズバリくるでしょう。
そうなんです。
日本語の表現は、コンピュータの記述方法にも似ている合理的なものなのです。
 
 
さて、ノースウェスタン大学の心理学の教授は、数字の表現方法の他にも色々な理由を付け加えて、「だから、数学の力で 世界のトップに立ったのは、中国と韓国の学生だった」
としています。
中国は、上海の都市部等、教育熱心な地域データでしょうか。
韓国は、教育熱の高い国なので、レベルが上がっています。
反対に、日本は、ゆとり教育の弊害がでてトップを譲ったのです。
 
総括すると、教育に投じるエネルギーと算数や数学の能力は、リンクすると言う事でしょう。
 
 
 
文系の学者が理系分野の解析をした場合は、大学教授でもこの程度の浅さなんですね。