権力による報道統制が話題になるたびに、「言論の自由」を盾に闘ってきたメディアですが、そもそも「言論の自由」を履き違えているのではないでしょうか。

「言論の自由」は、メディアを保護する憲法ではありません。
メディアは、その公益性・公共性から、「言論の自由」からは一歩離れたところにあると思います。
もちろん、広い意味では、「言論の自由」の対象に含まれるでしょう。
ですが、公益性・公共性からみて、「何を言ってもかまわない」わけではありません。
むしろ、様々な制約の中で、「情報」を流す立場にあり、メディアとしての「主張」を自由に流してよいわけではありません。
メディアとしての「主張」を流すのであれば、全責任を負う覚悟で行うべきです。

例えば、「地震予知」では、「早川氏や村井氏の有料の地震予知は素晴らしい。国は、彼らの地震予知に予算をつけるべきだ。逆に、地震予知で成果がない地震学会の研究費は削減すべきだ」といった論調をよく目にします。
このような記事や放送を信じて有料の地震予知情報を購入した人々に対し、「出鱈目な情報を買わされた」と言われた際には、民事、刑事の両方で、情報提供元として責任を取るべきです。
「我々も騙された」などということは、メディアは許されないのです。

メディアは、中立性を保ち、両方の意見をバランスよく提供する責務があるのです。
地震予知を例にとると、「早川氏や村井氏の地震予知の成功率は、本人達の主張によると〇〇%である。一方、地震学会は彼らの地震予知は、予知に成功していないと主張している」といった具合に、事実だけを伝えてほしいものです。


メディアは、国民の審査を受けない組織です。
なので、嘘の情報を流していると、それを足掛かりに報道統制のネタにされる可能性があります。
キチンとした自制の下で報道していなければ、報道統制のネタを政権側に提供することになり、メディアだけでなく、国民全体の不利益に繋がることを、メディアに生きる方々は理解していただきたいものです。