今日はJAMSTEC横須賀本部の一般公開日です。
でも、私は行けませ〜ん!!!!!!
横須賀本部の一般公開は、例年は5月中旬に行われます。
また、例年であれば、今頃は同じJAMSTECの横浜研究所で一般公開が行われます。ところが、横浜研究所は、今年は一般公開は行われず、代わりに7月中旬にミニセミナーが開かれただけでした。
(この時も、私は行けませんでした!)
なぜ、こんな事態になったのか、私なりに推測(こういうのを憶測と言うのかも)してみました。
今年4月9日夜、青森県沖の太平洋で、F35戦闘機が墜落しました。
最新鋭のステルス戦闘機ですので、事故原因解明のためにも、機密保持のためにも、機体の引き揚げは急務となりました。
防衛省からJAMSTECにも応援要請があり、JAMSTEC所属の『かいめい』が借り出されました。
『かいめい』は、4月24日に出港しています。そして、5月8日まで捜索を行い、いくつかの成果も上げて帰還しています。
『かいめい』を派遣するためには、様々な準備と調整が必要なるはずです。
JAMSTECは国の機関ですから、予算に基づいて年間の予定が決まっているはずです。
おそらく、4月10日にはJAMSTECに協力要請があったと思います。
そこから、事務方の御苦労が始まったと思います。
まずは、所有船舶の中から、派遣する船を選定するところから始まったはずです。これは、すぐに決まったでしょう。
続いて、派遣期間を決めなくてはなりません。機体が同盟国以外に渡ることは防ぎたい防衛省とアメリカは、機体の全てを引き揚げるまで捜索の継続を要求する可能性があります。ここの攻めぎ合いは厳しいものだったのではないかと、想像します。最後は、予算を振りかざしたのかなと、勝手な想像を巡らせています。
更には、研究航海の日程変更です。研究航海を変更するとなると、研究者との調整が必要です。研究者にも、その後の予定があるはずですし、場合によっては、他の研究機関(大学など)の所有船も調整したかもしれません。これも、研究者側は被害者ですから、簡単には納得してもらえないこともあったのではないかと予想されます。
これらの調整作業とは別に、『かいめい』を出港させるための準備も、並行して行われたはずです。
防衛省との交渉で、2週間の捜索活動と移動に必要な燃料の補給、乗組員の食糧、捜索の使用機器の搭載、場合によっては捜索機器の制御に使うコンテナも搭載したかもしれません。
捜索ミッションの立案のため、防衛省とJAMSTECの担当者で検討が行われたことは確実です。
これらを片付けたら、やっと一般公開の立案が始まるわけです。
最初に、横須賀本部の一般公開を横浜研究所の一般公開と差し替えることだけを決め、細かな日程調整も何もかも先送りにしていたでしょう。
日産自動車も、駐車場の提供を打診されたとは思いますが、当然、生産計画やら何やら、簡単に都合を合わせることは容易ではなく、ピストン輸送のための京急バスとの調整も、最初からやり直しですし、大変だっただろうと想像します。
事務方の御苦労と御努力に、拍手を送りたい気持ちです。
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