菅義偉氏が、日本学術会議の新規会員の任命を拒否した問題ですが、ブレてきています。


菅義偉氏は、推薦された105人中の6人を任命しませんでした。
推薦理由があるにも関わらず、任命しない理由を明らかにしなかったことを、私は問題だと思っていました。
政府は、任命しなかったことについて、「俯瞰的に判断した」とか、「任命しなくても法的に問題はない」とか、はぐらかした回答を続けていました。
その後、「届いた推薦状は99人分だった」とか、「推薦状は確認せずに承認した」とか、責任逃れのような回答に変わりました。
更に、ここ数日になって、『任命拒否』ではなく、『任命延期』と言い出しました。つい先日まで、「追加で任命するつもりはない」と言っていたのに、『任命延期』なのだそうです。


私は、「学問の自由を奪う」とまで言うつもりはありません。日本学術会議は、研究機関でも教育機関でもないはずです。
任命拒否をした現政権は、防衛予算を増額する一方で、研究費は減額しており、大局的に見れば学術を軽視している姿勢は明確です。現政権は、学術研究より軍事研究を含む目先の富国強兵に傾き、『学問の自由』を奪う姿勢が現出しつつあります。
ただ、それらは、任命拒否問題とは別のものです。任命拒否問題が解決しても、それらの問題は解決しません。むしろ、任命拒否問題を膨らませてしまい、議論の争点がブレて、問題の本質から外れてしまうリスクを生むことが気になります。

同様に、違法性を問う声も、ピントがズレているように感じます。
首相が任命しなければ違法になるなら、任命責任はどこにあるのか、合わせて説明があるべきです。
私は、首相には任命責任があると考えます。ならば、任命拒否の権利も有するはずです。
逆に、首相が推薦通りに任命しないことが違法なら、任命責任(推薦の責任ではない)も推薦側にあるはずです。
これを無視した違法性の論議は、無駄です。


私が問題にしているのは、任命責任者が推薦を退けて任命を拒否するなら、その妥当性を説明する責任があると考えます。それは、推薦者側にも、推薦した責任があるからです。
任命拒否は、推薦内容を否定し、任命できない人物を推薦した側に責任を問うことを意味します。
もちろん、推薦側にも言い分はあるでしょう。だから、任命拒否の理由を説明し、推薦側と協議しなければなりません。
前政権では、これを密室で行ったようですが、それはそれで問題です。
税金が投じられていて、かつ政府への提言をする組織ですので、政府からの独立性が担保されなければ存在意義がありません。ならば、独立性が失われないように、任命者の調整が必要な際には公開で行うべきです。

まとめると、首相が任命拒否するなら、推薦者に理由を説明し、妥当な代替人物を再推薦するように要求しなければならないと考えます。
また、推薦者を首相側と調整するなら、日本学術会議の独立性を担保するために、調整は公開で行わなければならないとも考えます。


10月13日になっても、拒否理由は明確にしていません。
これほど長く拒否理由を明確にしていないことで、別の問題が生まれました。
拒否理由を明確にできない『理由』です。

本件は、10月1日に発覚しました。
翌日には、当ブログでも扱っています。
この時点で、拒否理由を明確にしていれば、拒否理由の内容で議論はあっても、それ以上に問題がややこしくなることはなかったでしょう。
ですが、10日以上も追求を躱し続けてきたことで、「『公にできない理由』で首相は任命を拒否した」と考えるのが妥当になってしまったのです。

ただ、日本学術会議として取れる選択肢は、多くないように思います。
例えば、全員が辞表を出した場合、日本学術会議の会員は総入れ替えになります。当然、政権側は、意に沿う人物に入れ替えることでしょう。それは、『公にできない理由』を隠したまま、6人ではなく210人を馘にできたことになり、問題解決どころか、更に悪化させることになります。
かと言って、梶田会長と菅義偉氏とのトップ会談では、学究肌の梶田氏と交渉・折衝のプロである菅氏では、対等な会談になるのか、疑問があります。
会談するなら、完全公開で行うべきです。完全公開の目的は、100にも及ぶ学会からの声明、国民の関心を背景にします。
菅氏側が完全公開に難色を示したなら、その理由を公開質問すれば良いでしょう。新型コロナを理由に拒否するなら、TV会談か、会談会場にカメラを固定して、リアルタイムでネット配信でも良いと思います。


今回の問題の根幹は、理由を隠したままの日本学術会議への介入にあります。
更には、理由を隠したまま、問題の解決を図ろうとする体質にあります。
現時点で、このような手法は通用しないことを政権側に知らしめておく必要があります。
そうしておかないと、今後も同じ手法を用いて、より厄介な事案を生み出していくことになります。特に、右しか見ない人々が好む事案は、厄介な事案であっても賛成が付くので、強硬さが増します。
キチンと民主的な手法に戻らせるために、本件は議論を尽くして欲しいものです。