今も、世界中で、森喜朗氏の発言が問題になり続けています。

森喜朗氏の発言は、次のようなものでした。
女性がたくさん入っている理事会は時間が掛かる」
この発言が、「女性蔑視である」との問題でした。
これは、これで、問題ではあるのですが、そもそも侮辱的な発言であることが、私は気になっています。

例えば、「女性」を「男性」に置き換えてみましょう。
男性がたくさん入っている理事会は時間が掛かる」
これは、女性蔑視にはならないと思います。
一方で、「男性蔑視だ!」と言われることは、たぶんないでしょう。
だからと言って、このような言い方は、良いものではありません。

「女性」を「黒人」に変えたらどうでしょうか。
黒人がたくさん入っている理事会は時間が掛かる」
これは、「人種差別だ!」と大騒ぎになるでしょう。それこそ、暴動になりかねません。
「白人」に変えたら、「人種差別」とは言われないと思います。
でも、気分の良いものではありませんね。

「韓国人」に変えたらどうでしょうか。
おそらく、「日帝の残滓だ!」と韓国や中国で大騒動になりそうです。
「日本人」に変えたところで、批判のネタは変わっても、似たような感情になるはずです。


主語を何に変えても、この発言は許されそうにありません。
つまり、森喜朗氏の発言は、女性蔑視なのかどうかより、氏の精神の中にある侮辱的な思考によって出てきた発言であることが問題なのです。
様々な差別が問題になっていますが、その根源には、自分が属する世界とは違う世界の人々を嫌い、排除または服従させようとする心の問題があるのです。ここを解決しなければ、真の解決にはなりません。
例えば、トランプ前大統領は、性差別と人種差別が問題になりました。このように、一つの差別をする人物は、他の分類でも差別する傾向があるのです。ここにメスを入れなければ、形を変えた差別が延々と続くことになります。

森喜朗氏の頭の中は、平等の精神は薄く、差別的に物事を判断しているのでしょう。
森喜朗氏のこの精神構造が、オリンピックの精神と相容れないことが、最大の問題なのです。
ところが、森喜朗氏に影響力を持つ人々から、氏を擁護する発言が増えています。
多くは、何らかの形で森喜朗氏と利害が一致しているはずですが、外から見ると違和感と言うか、異世界の話のように聞こえてきます。
森喜朗氏の頭の中では、私たち一般人は、うるさいだけの烏合の衆として差別されているのかもしれません。開催されるオリンピックは、森喜朗氏が棲む世界で行われるのでしょう。
正に、モリンピックそのものです。
これでは、誰のためのオリンピックなのか、納得がいかないところです。

ならば、ここは森喜朗氏を会長職から引き摺り下ろし、精神的な支柱になれる人物を推すべきではないでしょうか。
でも、大会組織委員会には、それが出来そうにないので、私の東京オリンピックへの関心が薄れていくのです。