全人口の15%が、障害を持って暮らしているそうです。

俄には信じられません。

「全人口の15%もいるのか」との気持ちと、「85%も正常な人がいるのか」との気持ちがあります。



まず、「全人口の15%」は、かなり多い印象です。
15%は、ざっと±1.4σの外側を意味します。偏差値で、36以下か、64以上です。
マイナス側だけとしても、概ね-1σ以下ですから、偏差値なら40以下です。
そこら中に、障害を持つ人がいることになります。(法的な障害者には当たらない)

私は、「1.5σの人」を自認しています。
色々な部分で、±1.5σの外側にいるのです。
身長や肥満度や血圧など、身体的あるいは健康面でも、±1.5σの外側にいました。
学業では、担任が呆れるほど、プラス側の科目、マイナス側の科目に分かれていました。
こんな私ですから、探せば障害に相当する項目がいくらでも出てくるでしょう。

そう言えば、現職の総理も、コミ障ですよね。
「誹謗するな」って?
誹謗にはなりませんよ。
これが誹謗なら、「15%が障害を持つ」と言うこと自体が誹謗に相当してしまいます。
(言い訳になってるかな?)

大事なことは、障害は身近にあり、それを本人も周囲も当たり前に受け入れ、助け合っていくことにあります。
正確には、人類の全員が障害を抱えているようなものです。



数日前、パラリンピックが閉幕しました。
パラ・アスリートの驚異的な能力、努力と共に、伴走や補助を務める方々との共同作業は、素晴らしいものでした。
できれば、新型コロナを抑え込んで、来年の開催を願っていました。そうすれば、もっと身近にパラ・アスリートを感じることができたでしょう。
強行開催で、パラ・アスリートとの距離を縮めることが難しくなったのは残念でした。


障害があると、日常生活でも人の手を借りる必要があるでしょう。
でも、障害者が無くても、私たちは、他の人の力を借りて生きています。
当ブログのように、自給自足を目指すと、いかに人々の助け合いの中で生きているのか、改めて考えさせられます。

朝、起きた時、照明を点けるには、電力が必要です。照明器具が必要です。
朝食の準備をするには、水が必要です。食糧が必要です。ガスが必要です。包丁やまな板も必要です。
通勤や通学では、自転車や自動車が必要です。鉄道が必要です。
職場や学校でも、机が必要です。紙が必要です。ペンが必要です。パソコンが必要です。
お風呂に入る時も、石鹸やシャンプーが必要です。
寝る時も、ベッドやシーツ、布団等が必要です。

あなたは、これらのどれが作れますか?
そもそも、照明や自動車やパソコンの構造が分かりますか?
私は、工学系なので、多くの工業品の基本的な仕組みは知っています。知っていますが、作れそうなものはありません。
「まな板くらい、作れるだろう」って?
それは、甘いですよ。板と鋸やカンナがあれば、作れるでしょう。
でも、木を板に製材できますか?
鋸やカンナは、作れますか?
製鉄も、加工も、簡単ではありません。銑鉄からも、炭素を抜かなければなりません。
鉄が無くても、黒曜石か頁岩があれば何とかなるかもしれませんが、これらの産出地はどこですか?

結局、何もできませんよね。


私たちは、人類全体で助け合って生きているのです。
身体的な障害があるか、ないかは、関係ありません。
誰でも作れそうなまな板でもさえも、完全にゼロからとなると作り方もわからないのです。
私たちは、まな板でさえ、作ることができないのです。
ある意味で、人類は全員が何らかの障害を持っているようなものなのです。
だから、補い合い助け合って生きていくのが当たり前なのです。



「15%が、何らかの障害を持っている」
私には、「自分は85%側に入っている」と自惚れている人の言葉に聞こえます。

「人類の100%は、個々に多くの障害を持っている」
だから、助け合うのです。

必要な助けの種類や程度は様々ですが、助け合わなければ、誰も生きていけないのです。

日頃から、声を掛け合い、助け合い、一緒に生きていきたいものです。