極地研究所と言えば、真っ先に思い浮かぶのが、南極観測船ですね。
現在運用されているのは、2艦目の砕氷艦「しらせ」です。

しらせ2

ちょっと意外に思われるかもしれませんが、「しらせ」所属は海上自衛隊です。
これは、戦後初の南極観測で使用した「そうや」、「ふじ」、先代「しらせ」の全てに共通します。
一つには、南極観測が非常に危険だったためなのかもしれません。

しらせ


こちらは、先代の「しらせ」です。
南極観測に用いられた歴代の砕氷艦で唯一の三軸船でした。
大きさや性能は現行の「しらせ」と大差なく、日本の南極観測において、砕氷艦の完成形とも言えるでしょう。
実際、歴代で最も多い25回の南極観測を成功させています。

「しらせ」の名前ですが、一般には白瀬矗が由来と言われています。
(正式には異なるのですが、大元を辿れば白瀬矗に行き着くのです)
白瀬矗は、1910~1912年に日本で初めての南極探検を行った人物です。
極地研究所にも、記念碑がありました。

白瀬南極探検隊記念碑

白瀬南極探検隊記念碑2



南極点にこそ達することはできませんでしたが、貧弱な装備にも拘らず、この時代の南極探検において全員が無事に帰還したことは見事と言っても良いと思います。

日本の南極観測では、越冬隊の死者は1名のみです。
昨年は、残念ながら「しらせ」乗組員に死者がでましたが、安全第一に観測を続けて戴きたいと思っています。