豊葦原中津谷のニニギ

食糧自給率の向上を目指して! (2100年の日本へワープ)

カテゴリ: 研究機関など


JAMSTEC大好きの私が、見落としていました。

なっなんと!

JAMSTEC横須賀本部の一般公開が、10月14日に行われていました!!

実に、4年ぶりの開催でした!!!



JAMSTEC関連の話題を検索していて、気付きました。

事前登録と抽選により、人数を絞って行われたようです。
まだまだ、新型コロナの脅威が残っているので、妥当な判断だと思います。


今回は、7月中旬に事前発表があり、9月1日から事前登録を開始し、9月28日には当選者にメールが送られたそうです。

そもそも、一般公開には気付いていませんでした。
気付いていたとしても、家庭の事情により、予定を立てて行動することは難しくなっているので、事前登録はしなかったでしょう。
それでも、当ブログを通じて広めたかったと、残念に思っています。



私は、2018年に横須賀本部と横浜研究所の一般公開に行ったのが最後です。

2019年は、空自のF35の墜落事故を受けて、横須賀本部の一般公開が11月にずれ込んでしまったため、都合が合わなくなり、行くことができませんでした。
その後、新型コロナによるパンデミックで、一般公開は行われなくなり、残念な数年を過ごすことになりました。


来年こそ、6年ぶりに一般公開に行き、情報を仕入れたいと、心密かに息巻いています。

JAMSTECで建造中の北極域研究船について、船名の募集が始まりました。

詳しくは、以下のリンクを御覧ください。


(応募期間:2023年10月20日 17時00分まで)




この船は、海洋地球研究船『みらい』の後継船に位置付けられる船で、主として北極海で気象や生態系の研究に用いられる予定です。
極域で活動するため、『みらい』にはなかった砕氷能力が与えられています。
また、『みらい』の1.5倍の総トン数に大型化します。


現在、JAMSTECに所属する有人調査船は、『しんかい6500』を含めて、7隻です。
就役時期に並べてみます。

〈船名〉             〈就航〉  〈退役〉
なつしま(しんかい2000支援船)1981年 2015年
淡青丸              1982年 2013年
しんかい2000         1983年 2004年
かいよう             1985年 2015年
白鳳丸              1989年
よこすか(しんかい6500支援船)1990年
しんかい6500         1991年
みらい              1996年      (『むつ』は1972年)
かいれい             1997年 2022年
ちきゅう             2005年
新青丸              2013年
かいめい             2016年


1997年から、9隻の体制を維持してきましたが、2016年には8隻体制、今年からは7隻体制に縮小してきました。

北極域研究船が就航すれば、前進の『むつ』を含めれば船齢が50年を超える『みらい』の退役は確実です。
また、過酷な環境で運用される『しんかい6500』も、既に船齢は30年を超えており、遠くない将来、退役することは確実です。
ですが、代替船になるはずの『しんかい12000』は、予算も付いていません。建造技術も、失われつつあります。
母船の『よこすか』も、『しんかい6500』と同時に退役するでしょう。
『白鳳丸』も、船齢が30年を超えているので、退役時期が迫っています。

間も無く、JAMSTECは、北極域研究船、『ちきゅう』、『新青丸』、『かいめい』の4隻体制に、縮小してしまうのでしょう。

『みらい』が退役した後の未来は、暗いと言わざるを得ません。


と言うことで、北極域研究船の船名は、『くらい』にするべきだと、私は思います。

ってネ。




きつい皮肉はこれくらいにして、候補を考えてみることにします。


JAMSTECの調査船の船名は、地名、科学用語、「かい」で始まる用語に分類できそうです。

まず、地名ですが、『なつしま』と『よこすか』です。
『よこすか』は、母港でも『横須賀』です。
『なつしま』は、JAMSTEC横須賀本部の後ろに控える小山で、元々は「夏島」と呼ばれる島でした。
大日本帝国憲法の起草の地としても、知られています。
JAMSTEC横須賀本部の裏側には、『明治憲法起草地記念碑』があります。

科学用語に該当するのは、『ちきゅう』と『しんかい6500』等です。
科学用語と言うほどのものではありません。
もちろん、『地球』と『深海』の意味です。

「かい」で始まるのは、『かいよう』、『かいれい』、『かいめい』があります。
ただ、「海洋」と「海嶺」は、「海」の『かい』ですが、『かいめい』は「解明」でしょうか。
無人探査機を含めると、『かいこう』が現役ですが、これは『海溝』でしょう。

これ以外では、『みらい』、『白鳳丸』、『淡青丸』、『新青丸』があります。
『淡青丸』は、東大所属の調査船だった経緯から、東大のスクールカラーから命名されたそうです。
『新青丸』は、『淡青丸』の後継船なので、「青」を引き継いだのでしょうか。
『白鳳丸』も、東大の調査船でしたが、『淡青丸』と共に、国立大学法人化でJAMSTECに移籍されました。用語としては、7世紀の『白鳳時代』がありますが、命名の由来はわかりませんでした。



個人的に、命名を考えてみます。

まず、「かい」で始まる名前を考えてみました。

『かいげん』・・・開眼
『かいだい』・・・海台
『かいちょう』・・海潮、開帳
「かいひょう』・・海氷

開眼と開帳は、北極海を開き見る意味を持たせています。


地名でも、考えてみました。

『むつ』・・・・・陸奥
『そうや』・・・・宗谷

陸奥は、『みらい』の母港のむつ市に因むものです。
宗谷は、日本最北の市で、日本初の南極観測艦の名前でもあります。


今までのJAMSTECの調査船にはないパターンですが、人名でも考えてみました。

『うえむら』・・・植村直己(冒険家)
『のなか』・・・・野中到 (気象研究者)

植村直己さんは、冒険家と知られています。1978年には、北極点に達しています。
野中到さんは、富士山頂での気象観測を始めた人物で、日本の気象観測において、大きな足跡を残しました。北極域研究船の建造目的の一つが極地気象研究なので、この方が浮かびました。


最後は、科学用語です。

『びゃくや』・・・白夜

これは、説明の必要もないでしょう。

でも、一日中、真っ暗な『極夜』の方が、今の日本に似合っているように、私は思います。
ホント、お先真っ暗ですよ・・・

(JAMSTEC 4隻体制かぁ・・・)

JAMSTECの『かいれい』が、2月1日をもって運用を終了したそうです。

『かいれい』は、1997年の竣工ですので、船齢24年でした。

老齢船の明確な定義はありませんが、私の記憶では、船齢が20年以上の船を老齢船としていたはずです。
船舶保険では、船齢が15年以上を老齢船としているようです。
いずれにしても、『かいれい』は、老齢船に分類されます。

ですが、JAMSTEC所属の船でも、他にも老齢船はあります。
『よこすか』は、1990年の竣工です。
『みらい』は1997年の竣工ですが、前身の原子力実験船『むつ』としては、1969年に進水しています。
『しんかい6500』も、運用開始は1991年です。
日本郵船のクルーズ客船『あすか2』も、前身の『クリスタル・ハーモニー』の竣工は、1990年ですが、まだまだ元気です。

『かいれい』の引退は、船齢も関係あるでしょうが、予算の縮小が原因のようです。
自民党版の『事業仕分け』ですか?
今後、売却されるそうです。

別の背景として、『北極域研究船』の新造もありそうです。
『かいれい』の3倍近い大型船で、砕氷能力も、厚さ1.2mの1年氷の連続砕氷が可能になる見込みだそうです。(PC4)
(北極域研究船の詳細はこちら→https://m.youtube.com/watch?v=EHrg_7KmBZo )

ただ、この船は、『みらい』が担っている役割を代替します。『みらい』の船齢を考えると、『北極域研究船』が竣工すれば、『みらい』は、引退するはずです。
となると、『かいれい』の引退は、やはり予算不足が要因のようです。


2019年4月のF35墜落事故では、『かいめい』が捜索に協力し、FDR(Fright Data Recorder)の発見等の成果を上げています。
この年のJAMSTEC相模原本部の一般公開は、例年の5月から11月に変更されています。
一般公開に向けて、『かいめい』の航海日程に数日の空きがあったのでしょう。機能的にも都合が良い『かいめい』を、F35の捜索に振り向けたと想像します。

このように、JAMSTECは、対極となる防衛部門にも協力してきたのです。
それなのに、『かいれい』の運用を続けられないくらいに予算を絞られるとは・・・
『かいれい』の利用単価は、約700万円/日です。単純計算で年間25億円余りです。
F35Bの単価が約130億円と言われていますから、1機諦めれば、『かいれい』の5年分の運用費が捻出できます。交換部品購入費や運用費を含めれば、『かいれい』が動かなくなるまで運用できそうです。


最近の政府は、大きく右傾化しているように感じます。
産業化が容易な分野を除くと、研究費は削られています。

『北極域研究船』は、建造費で300億円、30年間の運用費も含めると1155億円と見積もられています。
建造目的の中には、北極航路の開拓や、将来的な潜水艦の活動のために、海底地形の詳細を知ることも含まれていると、想像します。
もちろん、中心となる活動目的は、極地の気象観測と地球温暖化の研究です。経済利用や外交カードとして気候変動等、政府に予算を要求しやすかったのでしょう。

一方、『かいれい』は、地震予知は不可能との考えが一般化し、地球物理学への関心が下がってしまったのでしょう。
先に立案されていた『しんかい12000』の計画も、全く進んでいません。
『北極域研究船』とは、対照的です。

実は、私は『しんかい6500』とは、ちょっとだけ縁があります。(詳しくは秘密)
それゆえ、JAMSTECが大好きな私には、寂しい現実です。

立川市にある国立極地研究所が、明日(2020年12月4日)から南極・北極科学館を再開するそうです。
毎週金曜日のみの開館で、予約が必要です。

 1回目 10:30〜12:30
 2回目 14:00〜16:00

1組3人まで、各回3組までに制限されています。


国立極地研究所は、4年前の一般公開で訪れたことがあります。
これは、4年前の一般公開時のパンフレットです。
南極・北極科学館は、パンフレットではピンク色で示された建物で、施設の南東部にあります。

国立極地研究所2016年一般公開3


一般公開が再開されたなら、また訪れてみたいと思っています。

今日はJAMSTEC横須賀本部の一般公開日です。


でも、私は行けませ〜ん!!!!!!


横須賀本部の一般公開は、例年は5月中旬に行われます。
また、例年であれば、今頃は同じJAMSTECの横浜研究所で一般公開が行われます。ところが、横浜研究所は、今年は一般公開は行われず、代わりに7月中旬にミニセミナーが開かれただけでした。
(この時も、私は行けませんでした!)

なぜ、こんな事態になったのか、私なりに推測(こういうのを憶測と言うのかも)してみました。


今年4月9日夜、青森県沖の太平洋で、F35戦闘機が墜落しました。
最新鋭のステルス戦闘機ですので、事故原因解明のためにも、機密保持のためにも、機体の引き揚げは急務となりました。
防衛省からJAMSTECにも応援要請があり、JAMSTEC所属の『かいめい』が借り出されました。
『かいめい』は、4月24日に出港しています。そして、5月8日まで捜索を行い、いくつかの成果も上げて帰還しています。

『かいめい』を派遣するためには、様々な準備と調整が必要なるはずです。
JAMSTECは国の機関ですから、予算に基づいて年間の予定が決まっているはずです。
おそらく、4月10日にはJAMSTECに協力要請があったと思います。
そこから、事務方の御苦労が始まったと思います。

まずは、所有船舶の中から、派遣する船を選定するところから始まったはずです。これは、すぐに決まったでしょう。
続いて、派遣期間を決めなくてはなりません。機体が同盟国以外に渡ることは防ぎたい防衛省とアメリカは、機体の全てを引き揚げるまで捜索の継続を要求する可能性があります。ここの攻めぎ合いは厳しいものだったのではないかと、想像します。最後は、予算を振りかざしたのかなと、勝手な想像を巡らせています。
更には、研究航海の日程変更です。研究航海を変更するとなると、研究者との調整が必要です。研究者にも、その後の予定があるはずですし、場合によっては、他の研究機関(大学など)の所有船も調整したかもしれません。これも、研究者側は被害者ですから、簡単には納得してもらえないこともあったのではないかと予想されます。

これらの調整作業とは別に、『かいめい』を出港させるための準備も、並行して行われたはずです。
防衛省との交渉で、2週間の捜索活動と移動に必要な燃料の補給、乗組員の食糧、捜索の使用機器の搭載、場合によっては捜索機器の制御に使うコンテナも搭載したかもしれません。
捜索ミッションの立案のため、防衛省とJAMSTECの担当者で検討が行われたことは確実です。

これらを片付けたら、やっと一般公開の立案が始まるわけです。
最初に、横須賀本部の一般公開を横浜研究所の一般公開と差し替えることだけを決め、細かな日程調整も何もかも先送りにしていたでしょう。
日産自動車も、駐車場の提供を打診されたとは思いますが、当然、生産計画やら何やら、簡単に都合を合わせることは容易ではなく、ピストン輸送のための京急バスとの調整も、最初からやり直しですし、大変だっただろうと想像します。


事務方の御苦労と御努力に、拍手を送りたい気持ちです。

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