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大間原発訴訟
私が原発新設に慎重なのは、主に二つの理由からです。
一つは、原発が寿命を迎え、廃炉にした後です。
現状の廃炉方法では、原発の敷地内に新たな遮蔽物で囲まれた地下保管庫を作り、核燃料を除く原子炉本体やコンクリート等の遮蔽材を保管します。
おそらく、百年単位で定期的に地下保管庫を更新する必要があるはずで、(地上部分を公園などに整備することは不可能ではないが)半永久的に更地に戻すことはできないと思われます。
もう一つは、原発の敷地が事実上の核燃料最終処分場を兼ねてしまう可能性が高いことです。
現時点で、日本国内には核燃料最終処分場は存在しません。また、核燃料最終処分場が建設される見込みも立っていません。
一度、核燃料が原発内に持ち込まれたなら、再処理で一時的に外部に出ることはあっても、最終的には敷地内に戻されることになります。
つまり、原発は、事実上の最終処分場を兼ねることになってしまうのです。
一方で、私は再稼動には賛成の意見を持っています。
既に稼働している(過去に運転実績がある)原発は、再稼動の有無に関係なく、廃炉作業では地下保管庫に原子炉等の放射性廃棄物を保管するしかなく、使用済核燃料を敷地外に搬出できる見込みもないのです。
ならば、再稼動して、可能な限り二酸化炭素排出量の削減に役立てた方が、日本の将来のためにメリットが大きいと考えているのです。
さて、大間原発ですが、私なら核燃料の搬入禁止の訴訟を考えます。
核燃料搬出の計画が存在しない以上、事実上の最終処分場の扱いになります。
「最終処分場の建設を認めたわけではない」として、「最終処分場の建設と大間原発の核燃料と廃炉時の放射性廃棄物受入の契約成立まで、核燃料搬入禁止」を求めるのです。
でも、私は原発再稼動派ですから、訴訟を起こせば、被告は、その部分から切り崩してくるでしょう。
それに、安全性を争点にしない私を受け入れる原告も居ないはずです。
原告側は原告側で、最終処分場問題を絡めた訴訟は、大間原発の最終処分場化に繋がると考えるでしょうから、あくまでも安全性に特化した訴訟を続けるはずです。
ただ、安全性に対する要求値が、原発だけ『悪魔の証明』と同じ考え方になっており、どんなに安全性を追求しても「想定外は起こり得る」の一言で否定するので、議論にならなくなっています。
一方で、原発側は論理的に安全性を積み上げていっており、真っ当な裁判が行われる限り、反対派の意見は通り難いのは当然でしょう。
今回の裁判においても「銭亀カルデラ」を持ち出していますが、このカルデラは直径2kmほどの小さなものです。
その割には、噴出物の量は3~4km³とされています。
これは、カルデラの容積(約0.15km³)と矛盾します。
概ね、カルデラの容積と噴出物の量は一致するので、20倍も違う噴出物の推定値に誤りがあると考えるべきです。
そう考えると、大間原発周辺にテフラが無いのも頷けるところです。
このように、原発に被害が出るように自然災害の規模を無制限に拡大していき、それをもって原発を止めるべきと言っても、「何が何でも原発を止めたい」と考えている裁判官に行き当たるまで、勝訴の可能性はありません。
つまらない『無限の安全』を求めるのではなく、現実に即した判断をして、私のように「再稼動は賛成だが、新規は反対」といった考えに傾いてくれることを願っています。
高温ガス炉の実用化の見通し
発電方式による温排水の比較
温排水について
川内原発の稼働中、近くの浜辺には毎日のようにサメやエイ等の大型魚類、クジラやイルカ等の海生哺乳類、ウミガメ等の死体が海岸に漂着していたそうです。
※「毎日のように~漂着」は、ちょっと誇張されているように思います。
火力発電所も温排水を出しますが、原発の熱効率は30%程度なのに対して、火力は40~60%なので、出力当たりの温排水の量は火力の方が少なくなります。
更に言うと、火力発電所は排気の形で大気に熱を逃がしていますが、原子力発電所は大気に熱を逃がしません。
大気に逃がす熱の問題は、反原発派は無視しているのです。
火力発電所の排気は、酸欠であり、一酸化炭素や亜硫酸ガス等の毒性を持った成分も含まれています。
反原発は、これらも無視しています。
反原発派は、原発だけが悪で、それ以外は善と考えています。
再生可能エネルギー発電所で使用される除草剤も善であり、20年後には大量に放棄されるであろう再生可能エネルギー発電所も善なのです。
原発との比較を拒み、原発だけを悪者にし、それ以外の問題は全てスルーするのは、如何なものかと思います。
このような偏った考えは、温排水の評価でも起こっています。
火力発電所の温排水対策としては、湾外の外洋までパイプを伸ばす方法があるとされています。
でも、この手法は、単純に原発にも応用可能なので、明らかに、反原発を目的とした公平性を欠いた報道です。