豊葦原中津谷のニニギ

食糧自給率の向上を目指して! (2100年の日本へワープ)

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前回は、現状を踏まえて、食糧自給率を100%した際に、農業従事者の比率をどこまで増やせるかを検討しました。
その結果、全人口の2.9%まで農業従事者を増やせることがわかりました。
これは、現状の約1.5倍に当たります。
ですが、肉食をやめたとしても、現状の2倍の生産量に増やさなければ、食料自給率を100%にすることができません。
これでは、農業従事者一人当たりの生産量を1.3倍余りに増やさなければなりません。
 
そこで、気になるのが、W/R係数です。
日本は、流通や仲買の割合が欧米の1.5~2倍もあります。
小売価格の56%が流通や仲買なので、これを三分の二にできれば、小売価格が同じでも農家の収入は増えます。
具体的には、56%の三分の二は39%なので、農家の取り分は44%から61%に増えます。
農業従事者人口に変換すると、4.1%になり、約500万人まで増やせます。
これは、現在の農業人口の約2倍に当たるので、食糧自給率を100%にするために生産量を倍増させたとしても、農業従事者一人当たりの生産量は、現状とほぼ同じとなります。
 
 
食糧時自給率から離れるとしても、W/R係数を向上させれば、農家の収入が向上することは変わりません。
 
私には、日本の食料自給率が向上しない影の要因として、日本の高いW/R係数があるように思えてしまいます。
 

アリとキリギリスの寓話を知らない方はいないでしょう。
この寓話のアリとキリギリスを、人類に当てはめると、どうでしょう。

少なくとも、日本人は究極のキリギリスです。


今世紀末までには、日本人にとって「冬の時代」がくることは間違いないでしょう。

まず、地球温暖化です。
これに伴う環境破壊と食糧難も、セットです。
ですが、最も簡単な原発再稼働による火力発電所の停止さえせず、反対に旧式火力を稼働させている始末。

次に、財政赤字です。
毎年、一世帯当たり100~150万円も累積債務が増え、今や一世帯当たりでは3000万円の累積債務を国民は負担しているのです。
にも関わらず、平気で増税反対を叫ぶのです。

政府も野党もマスコミさえも、温暖化対策や食糧問題、累積債務よりも、集団的自衛権が大事らしく、肝心な事はほとんど無視。
「冬」が来なければ分からないらしい。

まさに、究極のキリギリス‼️

スピンオフ版として、あるべき法律体系について、まとめてみます。

  

このような話題を取り上げると、ほとんどの場合、農業を優先する法律を作るべきとか、
環境を守る法律を作るべきといった内容になりがちです。

ですが、今回は人口減少と絡めた内容です。

 

 

日本の法律は、非常に複雑です。

それは、量的に莫大なためでもありますが、論理的にも体系的にも複雑なのです。

それゆえ、一般人には理解不能で、弁護士でさえ、分野毎に専門化しつつあるのです。

 

これは、法律の役割を考えると不可解な状況です。

そうですよね。

だって、法律を守らなければならないのは、国民全員なのです。

法律は、社会をスムーズかつ公平に動かしていくために存在するのです。

人を罰するために存在する訳ではありません。

弁護士でさえ把握しきれない、あるいは個々に解釈が異なる現状は、法律としてのあるべき姿とは思えません。

 

 

ならば、どうあるべきなのか?

 

あるべき論で言えば、国民のほとんどが理解できる内容であるべきです。

そうすることで、法律は合理的に運用できるようになります。



あるべき姿にする方法の整理は、次回にまとめることにします。

前回の結論は、法律は、国民のほとんどが理解できる内容であるべきというものでした。

 

 

では、どうすれば良いのか?

 
国民が法律を理解するためには、二つの糸口があります。
一つは、法律そのものの整理して理解しやすいようにすることです。
もう一つは、法律を理解するために必要な学力を、義務教育でしっかりと行うことです。

 

 

法律は、継ぎ接ぎで作られています。

その要因の一つとなっているのは、技術の進歩により、新しい可能性が生まれてくるためです。

進歩の中には、テクノロジーの他に、社会システムの進歩も含まれます。
例えば、保険会社が出す新商品のように、サービスの内容の進歩が含まれます。

この新しい可能性は、悪用や不公平等の問題を生み出す場合があります。

そういったマイナス要素を抑え、社会の利益となるようにするために、新しい法律が必要になるのです。

 

ただ、一つの疑問が生まれます。

なぜ、新しい課題は、従来の法律の解釈の範囲内に収まらないのか?

新しい法律を作れるという事は、概念的には従来の手法が有効なのです。

ところが、法律の解釈の分野では、従来の概念を適用できないのです。

使う際には利用できない概念が、作る際には利用できるとは、理系人間にはちょっと不思議な感じです。

 

この要因は、最高裁の判例にあるようです。

判例が、判断の基準になると同時に、制約にもなるのです。

しかし、判例自体、対象となっているのは、特定の案件です。

当然、狭い範囲に限定された判断になってしまうと思われます。

もちろん、考え方を明確にはするので、ある程度の応用は可能ですし、「法の下での平等」との思想からも、一つの判例に基づいて以降の判決を行うことは悪くはないと思いますが、「最良か?」と問うた時、「最良だ!」とは返せないと思います。

例えば、最高裁の判例がない内に、一審で結審した場合、その後に最高裁が異なる判例を作り出すかもしれません。これは、「法の下での平等」にはそぐわない事例と言えます。



法律は、その体系の中で、新しい課題を受け止められなければなりません。



次回は、法体系の見直し方です。
(※少し間が空きそうです)


法体系を整理する上で、数学を利用する方法があるはずです。

現状の法体系では、四則演算しか使用していません。
税の計算も、累進課税は階段方式です。
そのため、計算する場合に全部を知っておく必要があります。

これを指数等で表す方程式にすると、階段式ではなく、連続的に計算可能になります。


ただ、指数等は一般人には理解しにくいとの批判があるでしょう。
ならば、教育を変え、法律を理解するための数学の教育を増やせば良いことです。


私の発想は、理系に偏っているように思われるでしょう。
ですが、金利計算のように、日常生活でも同程度の数学が使われているのです。
元々、金利計算では複利計算をしています。
これは、指数関数になります。
現状でも、この程度の数学は使われているのです。
指数関数の教育を充実させることは、日常生活でも役に立つのです。

こう考えると、現状より数学の教育を充実させることは、メリットが多いように思います。


現状の法曹界の人々が見れば、私のアイデアはあり得ないかもしれません。
数学が苦手と思っている方も、同様かもしれません。
ですが、ならば複雑化が進む法体系を放置するのでしょうか。
それとも、AIを用いて裁判を行い、判決を出す時代を望んでいるのでしょうか。

それよりは、法体系を見直し、理解に必要な教育を子供達に与える方が、日本の未来として望ましいのではないでしょうか。

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