豊葦原中津谷のニニギ

食糧自給率の向上を目指して! (2100年の日本へワープ)

カテゴリ:豊葦原中津谷の世界 > 2100年の日本のあるべき姿

一応、法体系の合理化が必要であることを述べました。

多くの方は、「そんな事は出来っこない」と思われたでしょう。
でも、私は「人々の意思で法体系の合理化が進む時代が来るのではないか」と考えています。



現状の法律は、複雑怪奇です。
この対策として、法曹界へのAIの導入が考えられます。
おそらく、法律事務所の法律相談から、AI導入が始まるでしょう。
これが一般化し、実際の裁判を判決後に検証する際にもAIが用いられるようになり、法改正を経て裁判に用いられるように変わると予想しています。


この状況を考えてみてください。
法律相談をすればAIで判断してもらえるとしても、実生活でAIを使う機会は少なく、気付かずに法律に違反してしまう可能性はあります。
しかし、裁判ではAIによって裁かれることになります。
つまり、人の行いを機会であるAIが裁くことになるのです。


ここまで進めば、法体系の是正が話題になるはずです。
再び、AIに御登場願い、法律の分類と整理を行い、法体系を見直すことになるのです。



あり得ないことではないでしょう。
法体系が見直されなかったとしても、AIで裁判を行うようになれば、結審が早くなり、法曹関係者の合理化も進むはずです。

法体系の整理がなされなければ訴訟数が減らない点で課題は残りますが、AIで裁判をするようになれば、ある程度の合理化が進むので、「2100年の日本のあるべき姿」としての一つの形にはなります。


ただ、「人を裁くのが機械であってはならない」との感情論だけでAIの導入を阻む勢力も、法曹界や一般社会には出てくるでしょう。
その時には、少し賢くなって、AIが不要な法体系を構築してもらいたいものです。


少子化が世の中の問題となっています。

この対策については、当ブログでは優先度が低いので、別の機会に残しておきます。

 

少子化の問題の一つが人口が減少することです。

人口が減少すると何が問題なのでしょうか。

数え切れないほどの問題がありますが、大きな問題として経済規模・産業規模の縮小があります。

この部分だけでも問題は多岐に渡るのですが、当ブログに関係が深い農業生産に光を当ててみたいと思います。

 

 

あるブログにおいて、「少子化の影響で、農業生産力が低下する」旨の御意見を頂きました。

前述の「経済規模の縮小」から推定される問題なのかの一つを指摘されたものと思われます。

日本の農業の特徴として、労働力集約型であることがあげられます。

つまり、労働力が減少すれば、生産力も減少すると考えられるのです。

では、対策はないのでしょうか?

 

まず、労働力の確保です。

近年、農業法人が増えており、会社組織による運営がなされています。

この方式の場合、人口の増減より会社の収支の方が、労働者数に影響します。

つまり、少子化で人口が減少しても、給与水準が高ければ、労働者を確保できることになります。

(もちろん給与水準が低ければ、労働者を確保できず、農業生産力は低下します)

 

もう一つは、作業の効率化です。

こちらは、過去半世紀余りの野放図な都市化によって、大規模農業に有利な耕作地から都市化してしまっています。

単純な大規模化では、効率化は難しいところです。

ですが、大規模化のメリットとして、専門家を置きやすくなる点があります。

専門化により、多少の効率化は望めます。

 

ただ、これらの対策は、現状に対するものでしかなく、「2100年の日本のあるべき姿」としては、肝心の「あるべき姿」が見えてきません。

「2100年の日本のあるべき姿」では、食糧自給率を100%にするために人口を6000万人とすることを目標としています。

しかし、農業人口を適正化できないなら、継続的に食糧自給率を維持できません。

つまり、前述のような生産力ありきの対策では、真の問題解決にならない可能性があるのです。

 

「2100年の日本のあるべき姿」では、産業別の人口構成を想定していく予定です。

人口構成が見えてきたら、経済が回るか、シミュレーションを行いたいと考えています。

ただ、それを実現できる実力が私にあるのか、甚だ疑問ではあります。

 

まあ、できるところまで進めていくことにします。

 

 

日本の生産効率は、世界の中でどれくらいなのでしょうか。

計算は、一人当たりの収入を平均就労時間で割り算して求めました。
国別生産効率
これを見ると、日本の生産効率は、あまり高くないようです。
USドルで計算しているので為替レートの影響はありますが、高いとは言えない数値です。

ルクセンブルクは異常に高い数値です。
理由は分かりませんが、人口が少ない国は、特定の業種の収益が生産効率に利く場合があります。
ルクセンブルクの人口は50万人余りしかないので、何かの理由があるのでしょう。
これは、人口が多い日本(私の案でも、日本の人口は6000万人)では参考にしにくいと思われます。
同様に、人口770万人のスイス、490万人のノルウェーも、参考にならないかもしれません。


そこで、G7を基準に検証し直してみましょう。
G7生産効率

これで見ても、日本の生産効率は低いと言えます。
比率で見てみると、日本を100とすると各国は、以下のようになります。

 アメリカ 142
 ドイツ  135
 フランス 114
 カナダ  109
 イギリス 105
 日本   100
 イタリア  78


日本の生産効率が低い理由はさておき、現在の米国並みの生産効率を実現すれば、日本の人口が9000万人まで減っても同額のGDPを維持できることになります。

私は、人口を減らすことを提案していますが、GDPの減少を最小限に留めなければ、多額の国債の返済が滞ることになってしまいます。
なので、日本の生産効率が低いことは、考えようによっては改善の予知がたっぷりあることを意味するので、私にとっては追い風とも言えます。

私は「日本の人口を半減させるべき」と主張していますが、
いやいや、最低でも1億人は維持すべき」との御意見もあるでしょう。


両者は、逆方向と言っても良いくらいの違いです。

同然、施策にも違いが出てきます。

 

そこで、どちらの方向性を採用すべきか、私の個人的な意見を聞いて戴こうと思います。

 

 


満員電車を想像してください。

例えば、年末年始の新幹線の混雑です。

酷い時には、200%を超える乗車率になります。

適正数の2倍以上の乗客を乗せているわけです。

私がイメージする日本の現状は、これと同じです。

日本は、適正値の2倍の人口を抱えていると考えています。

 

これに対し、「人口を維持すべき」との考えは、新幹線を例にとるなら、
乗車率200%を維持しなければ採算が取れない」と言っているように聞こえます。

つまり、国内の生産力や社会保障を維持するために、
適正な人口の2倍を維持しなければならないとの意見として、とらえることができます。

 

 

確かに、人口が減れば、国内の生産力は半減し、社会保障の維持も困難になるでしょう。

ですが、「だから、人口を維持しなければならない」との考え方は、間違いです。

 

論点は、適正な人口はどれくらいか? であって、
人口を維持しなければならない理由を探すことではありません。

適正な人口が判明すれば、その人口に近付け、維持する方策を考えるのです。

 

現在の人口が適正であっても、半分の人口が適正であっても、
その人口にする、あるいは維持するためには何らかの施策を必要とします。

どちらの施策が容易かで、適正な人口を決めるのは、本末転倒です。

理想の人口を見極め、その人口を実現するための課題を解決することを考えるべきです。

 

 


もちろん、私の考えが誤っている可能性はあります。

新幹線の例で言えば、現在の日本の人口は定員くらいなのかもしれません。

現在の人口が適性なのであれば、その状態から乗客を半分にしろと言う私は、
適正な人口から「過疎化させろ」と言っていることになります。

 

だからといって、「採算が採れているから適正な乗客数」との単視眼的な発想だけで、
私の考えを否定されないよう、御注意ください。

私は、国土の能力(主として食糧生産力)から適正な人口を考えました

これを否定するのなら、これに代わる根拠を示すべきです。


その上で、議論できればと思います。

 

国会では、裁量労働制を巡る議論が行われていますが、雇用者側と関連法案を優先しようとする政府側と、揚げ足を取ろうとする野党側の議論は、どちらも中身が真空並みの薄さです。

 

そもそも、裁量労働制は、労働時間だけに裁量権を与えようとしており、仕事の内容と量、そして仕事を進める上での裁量権が議論されなければ、裁量労働制の適用範囲の拡大は意味を持たないのです。

また、政府が言うように(データは信憑性が無かったが)、裁量労働制の適用者は非適用者より労働時間が短いとしても、裁量労働制で労働時間が短くなる根拠にはなり得ません。
野党には、この辺りを追及してほしかったが、国会では不毛な議論が繰り返されました。


大塚耕平議員:「総理、スーパーのレジ係が倍の速度で仕事をやったら生産効率は上がると
        思いますか?」
安倍晋三首相:「上がると考えます」
大塚耕平議員:「上がるわけないでしょう。
        レジが倍の速度になっても客の購買力は変わらない。
        議論が噛み合わないはずです。
        ここを無視して労働生産性だけ議論しても無駄だ」


無毛さが溢れていますね。
まず、言葉の定義を確認しましょう。
生産性(労働生産性)は、以下の式で算出されます。
<式1>労働生産性(千円/人)=付加価値(千円)/社員の平均人数

別の式もあります。
<式2>労働生産性(千円/時間)=付加価値(千円)/(社員の人数×平均労働時間)


大塚議員は、<式1>を基にした考えと推測されます。
これに対し、安倍首相は、<式2>に基づいて回答したものと推測されます。
「議論が噛み合わない」のは、大塚議員がこの違いを無視しているためと思ったのですが、
「レジ打ちのスピードが倍になっても、そのスーパーの売上は増えない」とも言っており、
どうやら大塚議員は 労働生産性売り上げ と考えているようなのです。
売り上げは、<式1>でも<式2>でも付加価値に相当するので、明らかな間違いです。
また、裁量労働制を議論しているのですから、<式1>で議論する意味がありません。
「議論が噛み合わない」と言うより、「噛み合わない議論を吹っかけている」と言った方が適切な表現のように思えます。

ちなみに、<式1>を正しく解釈すると<式2>と同じ意味になり、大塚議員の理解がそもそも間違っていることが分かります。
<式1>の分母が[社員の平均人数]となっているところに注目してください。
従業員が10人の会社を考えましょう。
この会社の[社員の平均人数]は、10人ですね。
わざわざ[平均人数]と言う必要はありません。
では、パートタイマが2人居て、それぞれ午前のみと午後のみしか働かなかったとします。
その場合、社員は10人でよいのですが、[社員の平均人数]となるとどうでしょうか。
どの時間帯を取っても、社員は9人しか居ないことになります。
これが、[社員の平均人数]になるわけです。
<式1>の分母は[社員の平均人数]となっていますが、本質的には総労働時間と考えるべきなのです。
式の意味を考えず、言葉の意味に振り回されてはいけませんね。

冒頭の例に戻りましょう。
社員は10人として、その内の2人がレジ係として、終日の勤務をしていたとします。
レジ機械の更新で、2倍の速度でレジの仕事ができるようになったとします。
レジは暇になるわけですから、レジ係を1人に減らすか、午前と午後に分けたパート勤務に変えると、[社員の平均人数]は9人となり、労働生産性は向上するのです。
こんな話をすると、「1人を解雇するのか!」と言われてしまいますが、その考えは了見が狭いように思います。

ここからは、「2100年の日本の姿」を考えながら、話していきましょう。


私は、2100年には日本の人口を6000万人程度で安定させるべきと考えています。
現在の半分の人口です。

私の考えとは関係なく、これからの日本は少子化による労働力不足が続くでしょう。
となれば、10人の社員で行っていた仕事を、9人、あるいは8人、最終的には5人でこなしていかなければならなくなるのです。
つまり、「解雇」するのではなく、「不足する労働力に対応していく」との考えなのです。

残念なことに、裁量労働制の議論の中で、生産性の向上を阻害する要因と、それを除去する政策については、何一つ議論されていません。
政府は、裁量労働制を適用すれば労働時間が減るかの如く言っていますが、それはないと考えるべきです。
例えば、全員が裁量労働制ではないスーパーにおいて、全員を裁量労働制に切り替えたとしましょう。
そのスーパーは、労働時間が減るのでしょうか?
同じ従業員で、仕事内容の変化もなく、仕事量の変化もないのに、裁量労働制にしただけで労働時間が減ると考える方が、馬鹿でしょう。
もっと別のところに、生産性が上がらない要因があるのです。
その辺りも、別の機会に触れていこうと思います。

まあ、今国会では裁量労働制は法案から削除されましたが、今後の国会でも成立まで繰り返し法案が出されることが予想されます。
裁量労働制に限らず、生産性を向上させる政策を議論していかなければなりません。
ただ、国会はアテにならないので・・・


当ブログは、皆様の御期待に適う記事を書いていこうと考えています。

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