豊葦原中津谷のニニギ

食糧自給率の向上を目指して! (2100年の日本へワープ)

カテゴリ: 癌日記

5年目の術後健診の1回目を受けてきました。

年に1回は大腸カメラを受けるので、 2日前から指定の検査食を食べていました。
普通に仕事をしているので、お腹が空いて仕方がありませんでした。
それで、1月は3連休明けを狙うようにしています。そうすれば、お腹が空いた状態で仕事をせずに済みますし、食事を足す(消化の良いものを少量食べるのはOK)場合も、自宅なら条件にあった食品を用意しやすいので、助かります。
実は、昨日は、湯豆腐やロールパンを食べています。

さて、今日は最悪でした。
朝から電車が遅れて、病院に予定の時刻に着けるのか、冷や冷やでした。
病院に着いても、なぜか血液検査が混雑していて、20分以上も待つことになりました。
病院に着いて1時間も経った11時半頃から、ようやく大腸洗浄薬を飲み始めました。
洗浄薬を飲んでいる途中で、今度は胸部CTの順番になり、撮影に行きました。胸部CTは、同じフロアにあるので、すぐ近くです。でも、そろそろ洗浄薬が利き始めるころでしたので、ハラハラドキドキでCT撮影に臨みました。(まあ、洗浄薬が効く前に終わりましたが・・・)
そんなこんなで、洗浄薬を飲み終わったのは、午後1時頃でした。

・・・お腹が空いたぁ・・・

洗浄薬の効果は凄まじく、十三回もトイレに行きました。
8回目辺りから、便は綺麗になっていたのですが、看護師さんのOKがもらえたのは11回目だったと思います。時刻は午後1時半頃でした。
でも、5年間で最悪は、続きました。
カメラの順番が回ってくるまで、なんと2時間も待つことになったのです。
順番が回ってくると、検査着に着替えるのですが、着替え終わっても順番にならず、更に40分以上も待たされました。だから、検査が始まったのは、16時半頃でした。病院に着いてから6時間も経過していました。
検査では、鉗子で大腸内の組織を取っていました。

今回も、鎮静剤を使ったので、30分ほど休憩を取りました。

結局、全てが終わった時には午後5時半頃になっていました。
お腹が空いて仕方がなかったので、世の中の主婦が夕飯の準備をしている、このタイミングでお昼にしました。

お昼を食べて帰ったので、家に帰り着いたのは午後8時を過ぎていました。

1週間後、たぶん最後になる検査です。

福島第一原発の事故の影響を調べるために行われている甲状腺結果について、まとめます。
福島県では、県民健康調査を行っています。


第28回福島県「県民健康調査」検討委員会(平成29年10月23日)について
http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/kenkocyosa-kentoiinkai-28.html

県民健康調査 「甲状腺検【本格検査 (検査 2回目 )】
http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/238768.pdf

県民健康調査 「甲状腺検【本格検査 (検査 3回目 )】
http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/238771.pdf



これをまとめて・・・と言いたいところですが、他からもデータを補完させていただきました。
データは、以下のようになっています。

福島甲状腺癌検査表

注目すべき点は、地域差です。
初回のデータでは、地域差はありませんでした。
その件については、当ブログでも過去に書いています。

http://imutakatumi.officialblog.jp/archives/27576466.html

この記事は、『旧・風の谷の生活』に2014年に書いた記事の転記でした。
そのため、この時点の情報では地域差は見られませんでした。
今回のデータでは、2巡目(2014~2015年)では明らかな地域差が出ています。
3巡目(2016~2017年)は、全数の判定が確定していませんが、類似の傾向が見られます。

福島甲状腺癌地域差

これは、有意な差とみていいはずです。
また、13市町村に多く罹患者が見られることから、福島第一原発事故の影響とみて間違いないでしょう。


これとは別に、避難時期と経路を踏まえた被ばく線量の推定の研究が行われています。
NHKのサイエンス・ゼロで紹介された研究では、甲状腺への影響が心配されるヨウ素131(半減期8日)の被ばく線量を推定するために、ヨウ素129(半減期1570万年)を用いた推定方法が開発されています。
これまでは、セシウム137(半減期30.1年)を用いた推定方法でしたが、ヨウ素131の大気中濃度の変化は、セシウム137の大気中濃度とは異なる変化をする場合があることが分かってきました。

これに、大気シミュレーションを加えて推定の被ばく線量を算出していました。
甲状腺等価線量を算出するには、ヨウ素131の大気中濃度、呼吸で吸い込んだ大気の量、年齢による甲状腺への影響度を加味する必要があります。
番組中では、1歳児をモデルに計算した結果を消化していました。
それが、次です。

甲状腺等価線量

このような研究結果を基に、将来的な甲状腺癌のリスクと対策を考えていく必要があります。
ですが、問題もあります。
一つは、推定値に大きな幅があることです。
また、過大評価をしている可能性もあります。
その要因の一つが、気象です。

小児甲状腺癌と被ばく線量との関係を、アメリカの国立がん研究所の研究者が2017年に発表しています。
被ばく量が0~200mSvで小児甲状腺がんリスクを調べたものです。
番組の中では、一次回帰式の値に基づいた解説がされていました。
50mSvでもリスクがあることが、グラフからも読み取れます。

高いリスクがある以上、精度の高い推定が要求されます。
そのための研究は、速やかに行われなければなりません。



最後に、私は原発再稼働賛成の考えを持っています。
前述のような事実を知っていて、なおかつ、がん患者としての不安も経験しています。
それでも、原発の再稼働は必要だと考えています。
それくらい、地球温暖化のリスクは大きいと考えているのです。

本庶氏のノーベル賞受賞によって免疫療法が話題になっていますが、誤解も多いようです。

私は、医療関係ではありません。
ガン経験者ですが、化学療法の経験もありません。
ただ、素人である私からみても、明らかに間違いと分かるものも少なくありません。
そこで、ガチガチの理系人間である私の見方を紹介しておこうと思います。

 

薬は、必ず副作用を伴います。

強い薬ほど、強い副作用を持ちます。

なぜ、強い薬は、強い副作用が出るのでしょうか。
人の体は、様々なバランスで成り立っています。

病気になった際、それを治すために何らかの作用を持つ薬を投与します。
その結果、バランスが崩れて副作用が出るのだと思います。

 


細胞障害性T細胞は、過剰な免疫反応を抑えるために、免疫チェックポイント受容体(PD-1)を持っています。ガン細胞は、免疫抑制を行うリガンド(PD-L1)で免疫チェックポイントに繋がり、細胞障害性T細胞の活動を止めてしまいます。
その結果、ガン細胞は免疫細胞からの攻撃を止めることができ、増殖を続けることができます。

オプジーボは、免疫のブレーキを外してガン細胞を攻撃します。

細胞障害性T細胞の免疫チェックポイント受容体にリガンドが結び付くのを、免疫チェックポイント抑制剤(オプジーボ)が妨害することで、細胞障害性T細胞の免疫抑制が働かないようにします。
その結果、細胞障害性T細胞は癌細胞を攻撃し続けるようになります。
 

ですが、 細胞障害性T細胞は免疫抑制機能を抑え込まれているので、本来は攻撃してはいけない細胞に対しても攻撃するはずです。

それが原因かどうかは分かりませんが、オプジーボにも様々な副作用があります。
副作用については、製造元の小野薬品工業が説明しているので、御覧になるのが良いと思います。

リンクhttps://www.ono-oncology.jp/contents/patient/opdivo_about/04.html



オプジーボの副作用では、別の研究もあります。

大阪大学の長彰翁氏らの研究では、副作用などが原因でオプジーボの使用をやめた肺がん患者8人の血液を分析したところ、薬の投与をやめた後も20週間以上、薬の影響が続いている可能性があることがわかりました。

今までは治癒できなかった方の一部は、オプジーボで救われるはずです。
ですが、オプジーボは、夢の薬ではなく、万能薬でもありません。
また、新しく開拓されたばかりの治療分野なので、様々な課題が隠れているはずです。
多くの研究者や医師の努力によって、少しずつ改善されていくはずですし、その道の第一歩を踏み出した本庶氏の功績は素晴らしいものです。
ただ、過剰な期待はすべきではなく、主治医としっかり相談しながら、標準治療を基にした治療を進めていくのが、我々ガン患者の利益になると思います。

本庶佑氏とアメリカのジェームズ・アリソン氏に、ノーベル医学・生理学賞を授与すると、発表されました。

受賞理由は「免疫を抑える働きを阻害することでがんを治療する方法の発見」だそうです。


本庶氏は、免疫チェックポイント分子「PD-1」を発見し、これを基にしたガン治療薬「オプジーボ」が開発されています。
本ブログでも、本庶佑氏と「オプジーボ(ニボルマブ)」を取り上げています。

 丸山夏鈴さんが亡くなられました
  (免疫チェックポイント阻害剤「ニボルマブ」が悪性黒色腫の治療薬として承認)

 卵巣がんに新薬
  (小野薬品工業のニボルマブ(商品名オプジーボ))

 

私の期待が叶い、勝手に喜んでいます。


ノーベル賞受賞者2018

9月21日は、宮沢賢治さんの命日です。
小学校の卒業前、担任から「雨にも負けず」の全文を教えて戴きました。
賢治さんが亡くなったのは、その「雨にも負けず」が書かれた2年後の1933年9月21日でした。
 
「雨にも負けず」が世に出たのは、亡くなった翌年の9月21日だそうです。
没後1年を記念した『岩手日報』夕刊の「宮沢賢治氏逝いて一年」に「遺作(最後のノートから)」と題して掲載されたのが最初のようです。
これに先立つ同年2月16日、賢治の弟・清六さんが「宮沢賢治友の会」に招待された際、持参した遺品の鞄の中から発見され、初めて他人の目に触れたのです。
 
宮沢賢治さんは、37歳で早逝されました。
お墓は、花巻市内の身照寺にあります。
私は行ったことがありませんが、東北を旅行する機会があれば、訪れてみたいとおもっています。
 
イメージ 1
 

↑このページのトップヘ