新・風の谷の生活

食糧自給率の向上を目指して!

カテゴリ: 風の谷の生活

2100年の日本の姿

2100年の日本の姿とは?

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 2100年の日本の人口 おまけ







「風の谷」のテーマを一言で言うなら、食糧難に備える自給自足生活です。
 
今世紀は、温暖化や人口増、途上国の食生活の変化などから、世界規模の食糧難になると予想されます。
分かりやすく言うなら、地上に大喰らいが増え、天の怒りを買うということです。
 
そこで、天の怒りを買わないようにするため、「風の谷」を開谷し、次のテーマを掲げて自給自足の生活をすることにしたのです。 
 
 3、気象予測に基づく栽培管理
 4.水田利用の冬季水耕栽培
 
ですが、誰もやったことがないテーマもあるので、トンでもないことになるかもしれません。
それを含めての「風の谷」です。

でも、まだ「風の谷」への移住さえしていません。
当面は、夢を語るだけですが、お付きください。

「風の谷の生活」の目的の一つが、無補給の自給自足です。

この無補給の自給自足は何を指すのか。
それ以前に、何のための自給自足なのか。


「風の谷の生活」の元々の目的は、食糧自給率の向上です。
現在の地球環境は、温暖化の傾向が顕著になり始めています。
温暖化は、各地の気候を変え、気象の極端化も引き起こします。
気候が変われば、農業への影響は避けられず、食糧生産が減少するリスクをはらみます。
また、極端化した気象は、想定外の被害を農業に与えます。これも、食糧生産の変動要因となります。
一方で、人口増加や紛争の激化で、食糧消費は増えていきます。

こういった要因から、日本は食糧事情が悪化する可能性を持っています。


前述のような要因から引き起こされる食糧事情の悪化は、世界規模で起きます。
このため、食糧事情の悪化が発生した際には、世界中で食糧の奪い合いが発生します。
奪い合いの範囲は、食糧そのものだけでなく、種苗や肥料、農薬から農機具、燃料等にまで及ぶでしょう。

さて、こうなってしまった場合には、日本は驚くべき苦境に立たされるでしょう。
食糧を輸出する国の通貨が値上がるため、円安が一気に進み、海外から輸入する食糧は、非常に高価なものとなるでしょう。
ですが、食糧自給率が低い我が国では、国内で不足分を補うことができません。
それどころか、海外から輸入している種苗や燃料も値上がりするので、国内の生産量を高めるどころか、低下させることにもなりかねません。


ここまで書けば、多くの方はお気付きになったでしょう。
無補給の自給自足は、単に自給自足をするのではなく、種苗や肥料は自己管理をし、また輸入する燃料に頼らない農業形態を構築することを指しています。

私は、農業経験がありません。
ですので、無謀な試みとなるでしょう。
ですが、無補給の自給自足の元々の目的は、食糧難に備える事であり、食糧難になった際に想定される様々な要因に耐えられることです。
無謀であっても、挑戦しなければならないと思っています。

日本には、およそ450万haの耕作地があります。
ですが、その内のおよそ8~9%は、作付が行われていません。
これが、耕作放棄地です。
耕作放棄地の定義は、「以前耕地であったもので、過去1年間以上作物を栽培せず、この数年の間に再び耕作するはっきりとした考えのない土地」です。
更に、荒れた農地を、荒廃農地と呼びます。
荒廃農地とは、「現に耕作に供されておらず、耕作の放棄により荒廃し、通常の農作業では作物の栽培が客観的に不可能となっている農地」です。

現在の日本の食糧自給率は、実質(飼料穀物も考慮)では32%程度です。
もし、耕作放棄地を完全に無くすことができれば、食糧自給率は3%程度、上昇するはずです。
これは、300~400万人分の食糧を生産できることに相当します。
ですので、食糧難の危険性がある現在は、耕作放棄地を再農地化することは重要な課題なのです。


風の谷には、耕作放棄地があります。
その一部は、荒廃農地となっています。
荒廃農地となっているのは、主として竹林の浸潤を許してしまっているためです。
これらの再農地化を、私は考えています。

第一段階は、単なる耕作放棄地で作付を再開する事です。
農業の素人の私は、これは簡単にできると考えていますが、土壌の改良や水の確保など、「やってみたら大変だった」なんてことになるかもしれません。
第二段階は、水田の復活を予定しています。
昔の水田は二か所ありますが、どちらも竹林に変わってしまっています。
ただ、それぞれ異なる種類の竹ですので、再農地化は、違う手順となるかもしれません。
また、竹の根は強いので、水田の不透水土盤を痛めつけている可能性もあります。
何年か掛けて復旧する事になるだろうと、考えています。


言うは易し、行うは難し

「耕作放棄地の再農地化」は、相当に苦労すると思っています。

先日、足利学校に入学しました。

入学証


足利学校は、室町時代に上杉憲実が、書籍を寄進し、庠主制度を設けて初代庠主に鎌倉円覚寺の快元を招聘するなどして学校を再興したとされていますが、古くは奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利吉兼説などがあるそうです。
1549年には、フランシスコ・ザビエルによって「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」として、世界に紹介されています。

入徳門と學校門をくぐり、足利学校の中へ。

足利学校


そして、玄関へ。
ちなみに、左の立派な唐破風が玄関で、左は脇玄関です。

足利学校の玄関


この足利学校は、自学自習を基本としていました。
学びたい学問が終われば、自ら卒業したそうです。
それ故、在学期間は、短い人は1日、長い人は10年以上だったそうです。

さて、私は、在野の気象研究者を自称しています。
足利学校の精神に倣い、自分の納得できるまで気象と農業を考えていきたいと思います。

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