今日は、入院三日目の日記から書きます。
この日は、手術当日でした。
【1月17日金曜日】
昨夜の睡眠導入剤は、飲みませんでした。
21時半頃に、自然に寝付いていました。
2時頃にトイレに行きたくて目が覚め、それ以降は寝られなくなってしまいました。
6時、起床。
病室がHCU室に変わるので、荷物をまとめなければなりません。
7時半、家族来院。
8時前、手術室に移動。
手術室の数に驚きました。
私が入ったのは、十五番の手術室でした。
おそらく、四番、九番、十三番が欠番のはずですが、それでも十二室もある計算。
手術室に入ると、幅六十センチほどの手術台に寝かされました。
下半身部分は柔らかい、不思議な作りです。
左手に輸液のラインを二つ確保。
左手中指には血中酸素濃度のセンサーのクリップ、右手にも血圧計。
指示通りに横向きになると、笑気ガスのマスクが顔の前に置かれました。
背中では、局部麻酔を四箇所も注射した後、硬膜下麻酔のカテーテルを入れていきます。
右の腰付近の二箇所に圧迫感。カテーテルで神経を圧迫していたのでしょうか。
硬膜下麻酔が終わり仰向けに戻ると、笑気ガスのマスクを付けられました。
「麻酔を入れます」と言うが、一向に眠くなりません・・・。
11時半ごろ?
麻酔が効いてこないと思ってましたが、瞬間的に眠りに落ちていたようです。
記憶がスパッと切れていて、意識が遠ざかる感覚が残っていないのです。
意識が戻ったのは、呼び掛けの声でした。
麻酔の説明で聞かされていた通り「手を動かしてください」と言われ、親指から順に曲げていき、逆順で開いてみせました。
二、三回はやるつもりでしたが、「はい、いいですよ」と言われ、ガッカリ!
「深呼吸してください」
お腹を膨らませるようにして深呼吸を繰り返します。
ただ、この後の記憶は途切れてしまいました。
12時過ぎ?
ガタガタ揺れるベッドの上で、意識が戻りました。
直ぐに部屋に入ったので、
「HCU室ですか」と声を掛けると、看護師が「そうです」と答えてくれました。
ベッドの位置が決まると、体中に色々な装置を取り付けられてしまいました。
左手の輸液ライン、左手中指の血中酸素濃度センサー、右手の血圧計はそのまま。
背中には硬膜下麻酔が刺さっているはず、鼻には酸素のパイプ、両足に血栓予防のエアマッサージャー、そして尿道カテーテル。
全部で八本もコードやパイプが、体に取り付けられているのです。
妙な感じです。
でも、意識はあるのですが、スッキリしない頭では、違和感を感じません。
手術した実感は無く、腹筋痛を感じる程度なのです。
12時半
装置の取り付けが終わり、家族が入ってきました。
時刻を聞くと、「十二時半」とのこと。
頭は働いておらず、手術時間を逆算することを考えもしませんでした。
窓の外は何も見えず、青い空が印象的でした。
顔を見て安心したらしく、家族は直ぐに帰っていきました。
4人部屋のHCU室には、次々に人が運び込まれてきました。
最後の人は、外が暗くなった後でした。
それぞれの家族は、現在時刻との差から、手術時間を逆算していました。
自分のも逆算すると、手術前の三十分、手術後の三十分を差し引いて、実質の手術時間が三時間半くらいでしょうか。
ほぼ、予定通りということでしょうか。
18時半?
最後の患者が運び込まれた少し後、今日の手術を全て終わったらしく、主治医が入ってきました。
「どうですか?」と言われ、「腹筋痛があるだけで快調です」と答えました。
事実、激しい腹筋運動した後のようでした。
昨日から一色も食べていないのですが、お腹は空きません。
ただ、HCUは夕食を配らなければならない患者は居ないので、静かなまま。
何かが足りない感じのまま、夜は更けました。
手術で失った体力を回復するため、そして入院して以来の睡眠不足を解消するため、ゆっくり体を休めようと思っていました。
ところが・・・・
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