睡眠不足から、被害妄想に陥ってしまった私です。
この日の日記は22日に書いたのですが、その日まで被害妄想が続いていたようで・・・
【1月19日日曜日】
零時半
また、間が覚めてしまいましたが、お隣は静か。
一時過ぎ
隣が目を覚ましたらしく、電灯を点けて看護師に注意されていました。
看護師が出ていった後も、電動ベッドをいじったり、電灯を点けたり消したり、三十分おきくらいにゴソゴソしていました。
看護師が巡回に来ると大人しくして誤魔化すのですが、ナースコールで呼びつけるのです。
看護師の言葉に棘を感じますが、看護師には同情してしまいます。
四時頃
やたらと電動ベッドを動かしています。
動かし方が、それまでの大雑把な操作から、微調整を繰り返すところが違っていました。
おそらく、携帯電話を取ろうとしているのでしょう。
HCU室で携帯電話を使うとはふざけていると、心の中で憤慨。
六時、起床。
隣は、看護師に「携帯が無い」と訴えています。
看護師は、「ここに入っていますよ」と携帯を取り出して見せたようです。
七時、歩行訓練。
歩行訓練を兼ねて、歯磨きをしに行きます。
ただ歩くだけなのに、これが辛いのです。
昨日たてたばかりの目標の「病棟を歩いて移る」ことに、自信を無くしてしまいました。
九時、看護士交替。
交替した看護師とセンター試験の話題になりました。
彼女も、私同様、センター試験の経験者でした。
「天気が良かったですね」と大きな窓から青空を見上げました。
十時、病棟移動。
七東病棟へ移動です。
「車椅子で付いていくので、歩いてみてはどうですか」と看護師が言ってくれるので、点滴スタンドを転がしながら歩いてみました。
歩いてみると、意外に調子が良い!
余裕を持って歩ききれました。
入った部屋は、ナースステーションの隣。
ここで、硬膜下麻酔を抜いてもらいました。
十二時、昼食。
昼食の内容を見てビックリ。
ほとんど普通食。
うどんから始まり、鶏肉まであるのです。
念のため、看護士に確認したほどです。
食欲は無かったので、うどんを数本食べただけです。
看護師を栄養士に確認に行かせたのに、情けない食欲です。
十三時半
痛み止めを抜いたので、右腰から背中に至る鈍痛が我慢できなくなりました。
動き辛い状態になったので、ナースコールを使い、痛み止めをお願いしました。
十四時
家族が面会に来ました。
痛み止めの効果が出ていないので、しばらくは面会室で待ってもらいました。
その後、頑張ってみんなの所まで行ったのですが、十分くらいで限界を感じ、部屋に戻って横になってしまいました。
これを潮に、家族は帰っていきました。
十五時
初めての便が出ました。
真っ赤な便だったので、検体を取れませんでした。
大腸内の細菌の状態を見るために、便から検体を採ることになっていました。
医師に診せるので次回は流さないで見せてくれと、看護士に言われてしまいました。
十六時
左手首に痛みを感じ、見てみると、手首の血管が腫れていました。
ナースコールして、点滴を調整し直すてもらいました。
十九時、夕食。
五分粥を除けば、驚くほど普通の食事です。
食欲はなく、半分くらい食べてやめました。
看護師に便の話をすると、しばらく続く可能性があるとのこと。
気長で良いのだと、安心しました。
二十一時、消灯。
トイレに行きたくなった時に動けないと困るので、痛み止めを飲んでおきました。
二十二時
点滴が終わったらしく、看護師が静かに入ってきました。
左手首に点滴を固定していたテープを、看護師はべりっと剥がしました。
手首全体に広く貼られていたガムテープのようなテープを一気に剥がすのです。
痛いのなんのって!
でも、四夜連続の睡眠不足のお蔭?で、痛さも眠気に負けて気になりませんでした。
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