今日は、1月24日の日記から転載します。
体重が減り続けていました。
手術の翌日の体重測定では、僅かですが手術前より増えていました。
でも、それ以降は体重は減り続けていました。
 
 
【1月24日金曜日】
六時、起床。
朝の廊下を一周する習慣になりました。
東の空からは、何とか朝日が見れそうですが、北西の窓からは富士山は見えませんでした。
北の窓から見る東京タワーは、もう電飾が消えています。
しばらくすると、東の窓は、常連が陣取ってしまいました。
 
七時、検温と採血。
 
八時、朝食。
朝食後に計った体重は、昨日から更に減っています。
前の病室に居る時の貯尿量を思い出すと、十六日から十七日の二十四時間で、約二千八百、翌日は、二千四百でした。
手術時の輸液は落ち着いてきているようですが、体重は減り続けています。
 
九時頃、回診。
 
九時半ごろ、家に電話。
十五時から栄養士の相談があるので、早めに来た方が良いと伝言。
 
十時、レントゲン。
すぐに順番が回ってきたので、助かります。
前回、前々回と一緒だった人と、また一緒になりました。
ディルームで聞いた話だと、間もなく七十歳だそうです。
癌の位置は、上行結腸から横行結腸になる部分にあったそうです。
私の癌は、S字結腸(直腸)にありました。
 
十一時半
シャワーを浴びました。
一般病棟に上がった時から使っていたオムツを、今日からやめる事にしました。
五日前は、体を思うように動かせず、便の不安が強くて、念のために成人用のおむつを自主的にしていました。
一度もお世話になることはありませんでしたが、不安を取り除くことはできました。 
シャワーを浴びる時間は、今日からこの時間に変えました。
この後の行動を考えると、昼食の直前にシャワーを浴びるのが良いと気付いたのです。
 
十二時、昼食。
 
十五時前
家族が面会に来ました。
十五時から栄養士の相談があるので、ディルームで待つように告げました。
一階に下りると部屋が複数あって、どの部屋かわからなくなってしまいました。
予定表を持ってこなかったのを反省し、部屋から予定表を持って出直しました。
十五分ほどで、栄養士の話は終わりました。
退院後の食事療法の説明でした。
内容は、ちょっと意外でした。
豆類、きのこ類、刺激物が悪いが、肉や魚は問題ないというのです。
特に繊維の多い筍やゴボウ、レンコンは、避けた方が良いそうです。
面白いのが納豆!
良質のたんぱく質を含んでいるので、本来はお奨め食材ですが、豆のままなので、グレーゾーンだそうです。
「健康食品がダメで、肉類がいいんですね?」
「そうですね。でも、刺激物はだめですよ」と釘を刺されました。
 
十六時、家族は帰宅。
病室に戻る時に担当の看護士さんを見かけたので、声を掛けました。
処置があると、聞いていたのです。
すると、「今、やりましょう」とのこと。
処置は、トイレが近くなってお尻が腫れていないか確認することと、軟膏で処置することでした。
お尻をポロリと出すと、「ちょっと爛れているので、軟膏を塗りましょう」と、処置してくれました。
 
十七時、回診。
 
十八時、夕食。
ご飯が足りません。
お腹の調子が良くなり、食欲が病院食の量を超えてしまったのです。
もちろん、完食。
 
二十時、検温。
 
二十一時、消灯。