科学に疎い人は、ついつい「安全より安心」に偏りがちになります。
「安全」は科学的に説明されますが、感情である「安心」の拠り所は曖昧です。
多くの場合は、「安全」だが「安心ではない」との判断になりますが、時には「危険だが安心」となる場合もあります。

近ごろ流れたニュースの中に、「後席が最も危険」とする報道がありました。
ニュースのリンク→http://www.yomiuri.co.jp/national/20170329-OYT1T50065.html
警察庁では、後席のシートベルト着用率が低いことが原因とみています。
後席なら「安心」との誤った理解により、後席のシートベルト着用率が前席の三分の一程度しかないので、結果的に「危険」な席となってしまったようです。



このような「安全」と「安心」の履き違え、あるいは「安全」への理解不足に対し、危機感をお持ちの有識者も居られるようです。
『「科学よりも風評」「安全より安心」な日本人の感情論が科学を停滞させる』(山本一郎)と題した文春オンラインの記事を見つけました。
リンク→http://bunshun.jp/articles/-/1906

面白いと感じたのは、旧・風の谷の生活にコメントを頂いた方(お名前は不明ですが、TV出演の経験もお有りとのこと)と同じように、『TV業界の方は放送のプロ』とおっしゃっている事です。
同時に、文章の最後に書かれている一節(以下に抜粋)も、似た考えをお持ちでした。

メディアも目線を下げて読み手や視聴者に迎合するだけでは駄目であるし、何かボタンの掛け違いを正さない限り、なかなか日本の科学技術をどうにかしようにも物事が改善しないのではないか、と危惧する毎日です


当ブログでも、あるいは旧・風の谷の生活でも、メディアの問題を取り上げています。
メディアは、大きな影響力があるのに、報道内容に対する外部のチェック機能がありません。そのため、間違った内容が報道されていても、その分野の知識を持つ一部の人達以外は、間違っているにも関わらず報道された内容を真実として受け取ってしまう傾向にあります。
「営利組織だから仕方がない」とは言わせません。
メディアは、公共性が高い組織だから、その責任も大きいのです。
実際、メディア自身が他業種に対しては、「営利の追求を理由に安全等の責任を軽視してはならない」旨の主張をしています。

では、メディアのどの部分に問題があるのでしょうか。
私が思うに、出演者が言うコメントに大きな価値を感じているからではないでしょうか。

前出の山本一郎氏の文章の中にも、専門外のコメントを求められることが少なくない旨が書かれています。
これは、メディア側が、山本氏のためにコメントを言う機会を与えようとしているのではないかと思えるのです。
このコメント偏重の姿勢が、コメントを言うことに重きを置くようになり、コメント内容が軽視されるようになったのではないかと推定します。

つまり、メディアの問題を解決するためには、メディア自身がコメント偏重を改めることでしょう。
また、我々一般人にできることは、出演者のコメントは無視することだと思います。



さて、冒頭に「後席が最も危険」とするニュースですが、一般公開部分の最後に「エアバッグが普及していない後部座席が最高になった」と書いています。
データを公表した警察庁が「シートベルトの着用率が低いため」としているのに、こんな余分のコメントを入れているのです。
シートベルトの着用率が前席と同等になれば、エアバッグを装備する前席よりも死亡率は低くなるはずです。
大切なのは、シートベルトを着用することです
更に言うなら、前席と後席の両方にエアバッグを装備することは、おそらくは不可能です。
私は、登録者のみに許された残りの部分を読んでいませんから、記事について間違った解釈をしているかもしれません。
ですが、発表元の内容を上書きするコメントは書いてはいけないと思っています。



専門的な知識のない人のコメント(私のような素人にも間違いがわかるような低レベルのコメント)は、伝えるべき真実を壊してしまいます。
メディアに生きる人々は、事実のみを報道するように心掛けてほしいものです。
それによって、我々は正しい判断をしやすくなるのです。
そして、正確な情報の先には、科学への正しい理解も生まれてくると思います。