約1ヶ月も空いてしまいましたが、今回は、2100年に人口でワースト2に墜ちる山梨県と奈良県について、検証してみます。

まず、現状を確認してみましょう。
山梨県も、奈良県も、それぞれ首都圏と大阪圏に隣接しています。
その関係で、一時期、ベッドタウン化しつつありました。
まずは、過去の人口の変化を見てみましょう。

人口推移(奈良・山梨)

上は、全国と山梨県、奈良県のそれぞれの人口のピークを100%として、人口の変化をグラフにしたものです。
山梨県も、奈良県も、全国よりも早く、2000年以前に人口減少が始まっています。
バブルが崩壊して宅地開発が低調になった時期と人口減少の時期が、ほぼ一致しています。

農地推移(奈良・山梨)

上は、1995年を100%として、農地面積の推移をグラフにしたものです。
全国平均より、山梨県も奈良県も、早いペースで農地が減っていることが分かります。

農地の減少
上は、農地減少率の全国平均に対する山梨県と奈良県の農地減少率の比をグラフにしたものです。
大規模開発の影響を抑えるために3年間の移動平均で表しています。

バブル期を含む1980年代頃に、急激に農地が減っていることが分かります。
これは、首都圏で言えば埼玉や千葉のベッドタウン化が限界に達し、山梨県にまでベッドタウン化の波が押し寄せた事を示していると思われます。
奈良県においても、山梨県と似た状況になっていたものと考えられます。
しかし、景気が低迷し、山梨県や奈良県のような遠隔地のベッドタウンの需要が落ち込み、農地の宅地転用は進んだが人口は流出したのでしょう。

過去の宅地開発とは逆に、人口が減少に転じており、農地を宅地や商業地等に転用したのに無駄になり始めているとも推定されるのです。
つまり、農地が減り、食糧自給率が下がってしまったが、一時的に流入した人口も大都市圏に流出して減少してしまったのです。
結果的に、2100年には人口が最も少ない県になる可能性が高まったのです。


この現象は、日本の縮図とも言えます。
つまり、2100年を語る上で、転用された農地は大きな問題になります。
そのことは、後日、検証していくことにします。


「2100年の日本の人口」と題して書いてきましたが、一度、閉じる事にします。
次のテーマは、「2100年の日本の産業人口」を考えています。
6月頃から再開する予定です。