脳科学者の茂木健一郎氏のTwitterに、次のような呟きがありました。
「今日の夜、東京のある駅の近くを歩いていたら、全く同じようなリクルートスーツを
着た学生の集団が数十人、騒ぎながら通り過ぎていた。
画一性。
没個性。
この国は、本当に終わっているんだなあ、と思った。経団連のお墨付き」
(リンク先⇒ https://twitter.com/hashtag/%E8%8C%82%E6%9C%A8%E5%81%A5%E4%B8%80%E9%83%8E?src=hash)
どちらの意味なのか、ちょっと迷うところです。
リクルートスーツを着るしか能がない学生の画一的で没個性を批判しているのなら、
この国を終わらせているのは、若い学生たちとなります。
そもそも、リクルートスーツを着る習慣を作ったのは、誰なのか。
「リクルートスーツ」なる言葉を作ったのは、誰なのか。
それを考えると、この国を終わらせているのは、経団連となります。
だから、「経団連のお墨付き」と付け加えているのかも・・・
ですが、リクルートスーツを見て「画一性」だの、「没個性」だの言うことの方が、
この国を終わらせる危険を孕んでいるように感じるのは私だけ?
服装に個性が出るとしても、外からの強制力が少ない私服で判断すべきでしょう。
逆に、リクルートスーツ以外で就職活動をする人を、常識を弁えない人物と判断することもできます。
例えば、ノーベル賞の授賞式で受賞者はどんな服装をしているでしょうか。
民族服を着ている場合もありますが、その方々を含め、正装されています。
みなさん、礼儀をわきまえておられるからでしょう。
あの方々を没個性と言い放てるなら、それはそれで大したものなのかもしれませんが、
ファッション業界でもあるまいし、服装で個性の有無を判断するとはナンセンスですね。
では、外見でその人の個性が分かるのでしょうか。
例えば、特定の色や柄を好む方が居るとします。
その色や柄が一般的なものなら、その方の服装は没個性的になるでしょう。
また、何か夢中になり過ぎて服装に全く気を使わない方が居るとします。
その方の個性は、服装に現れるでしょうか。
どうも、内面的な個性は、服装に現れにくいように思いますね。
元々、服装はツールの一つのはずです。
何かを表現するために、服装に気を配る場合もあります。
周囲の関心を自分に引き付けることが目的であり、服装自体にメッセージを込めることは
少ないように思います。
そう考えると、個性が現れていると言うより、個性を見せる前準備とみるべきかな?
と思います。
さて、茂木さんのように、私も脳科学者だったなら、違う切り口をしてみるでしょうね。
「個性が外見に現れる!」と仮定します。
服装には個性が現れにくいことは説明済みなので、服装以外に目を向けます。
ここで、<個性=ノーベル賞受賞者>と考えてみます。
ノーベル賞受賞者は、いずれも独創的な研究や活動をなさっていますから、内面の個性を
お持ちであることは間違いないでしょう。
では、ノーベル賞受賞者の体形はどうでしょうか。
正確な数字を持っているわけではなく、文字通り外見から受ける印象ですが、総じて痩身に
思うのですが、いかがでしょうか。
日本の受賞者の方々を見ても、小柴博士が少しポッチャリ体形なだけで、中肉か痩身の方が
ほとんどのように思います。
となると、痩身=個性的?
突拍子もないように思えますね。
ですが、そうとも言えないのです。
最近の研究で、天才の遺伝子が発見されたそうです。
(当ブログ内リンク⇒知能の20%は遺伝子による)
その遺伝子の中には、痩身の方にしか見られない遺伝子もあるそうです。
逆に、肥満体の方には天才の遺伝子が見つからないとも言います。
内面の個性=天才とは言えませんが、外見から個性を見つけるのが目的なら、痩身≒個性的と結論付けても良いのかもしれませんね。
そう言えば、茂木健一郎さんはお顔が丸いのですが、体形の方はどうなんでしょうか?
コメント