東海汽船のジェットフォイル『セブンアイランド愛』は、2024年7月24日に東京・竹芝を出航後、房総半島沖で機関故障が発生し、漂流しました。
海保が曳航を試みましたが、牽引索が切れる等で時間が掛かり、翌25日5時半頃に大島港に接岸できました。

この事故は、以前から懸念されていたことが現実になっただけです。
ジェットフォイルの老朽化は、以前から懸念されていました。
使用船が老朽化し、今回のような事故が懸念されているのに、更新ができないのか、そこに、日本が抱える問題があります。



日本は、ロスト・テクノロジー大国です。
以前は、当たり前に製造できていた品が、今は製造できないのです。
製造できない直接の理由は、製造に必要な製造機器類が、既に処分されてしまったからです。
処分された理由は、注文が入らず、固定資産税だけが掛かる設備となったためです。
当然、これらの機器を扱える技能を有する人材も、後継者を育てることなく、引退しつつあります。

ある意味、仕方がないように見えますが、もう一段、踏み込むと、見え方が変わります。


近年の日本は、一種の損切りを積極的にやってきました。
今も、必死になって続けています。
例えば、ローカル線の廃止です。
利用を旅客に限定し、旅客だけで収支を判断し、損切りをしようとしています。

政府も、科研費を損切りの対象としました。

損切りは、悪い手段ではありませんが、将来を見据えた判断でなければ、後々、問題が発生します。
今回のジェットフォイルも、その一例と言えそうです。
ジェットフォイルを受注できないなら、販路を見つけるとか、製造機械を利用して、他の製品を作るとか、商品そのものを維持できないにしても、製造技術や製造機械は維持する工夫はなかったのでしょうか。

目先の損切りは、誰にでもできる簡単な逃げ手段です。
もちろん、未来を切り落とすので、瞬間的には未来を見据える必要もありません。
無能者の判断です。



ロスト・テクノロジーと言えば、大型ミリ波望遠鏡を今も作れるかどうか、怪しいものです。

野辺山宇宙電波観測所にある45mミリ波電波望遠鏡(以後「45m鏡」と略す)も、建造から40年以上が経過しています。
完成当時は、ミリ波電波望遠鏡としては、世界最大口径でした。
ですが、予算削減の煽りを受け、後継機どころか、観測の最前線から後退しつつあります。

2020年のノーベル賞に繋がった『イベント・ホライズン・テレスコープ』でも、45m鏡が使われることはありませんでした。
『イベント・ホライズン・テレスコープ』では、日本も参加する合成開口望遠鏡のアルマ望遠鏡を軸に、世界最大のミリ波望遠鏡のメキシコ・シエラネグラ山の望遠鏡等を利用して、ほぼ地球の大きさの合成開口電波望遠鏡を構成しました。
まあ、アルマを軸にすると決まった時点で、場所的に45m鏡の出番はなくなっていました。

45m鏡では、ホモロガス変形法が用いられました。
コンピュータの性能は、当時とは雲泥の差なので、計算自体は全く問題はなりません。
ですが、計算結果から実際の構造に落とし込むためのソフトウェア(経験であったり、プログラムであったり)が今も維持できているのか、心配です。



「昔はできたから、今もできるだろう」と思うかもしれませんが、そう簡単なものではありません。

ちょっと違うかもしれませんが、我々世代で石器を作れる人が居なくなっていることも、一例でしょう。
石器にできる石の種類、その石の外観や特徴、産地、採取方法、石器への加工方法、石器の使い方等々、全てわかる人は、日本に何人いるでしょうか。
石器を知らない人は少数ですが、作れる人はほとんどいないでしょう。

使わなければ、技術は簡単に失われるのです。
日本は、不採算部門を単純に切り捨て、自ら可能性を狭めてきました。
それ故、失われた技術は、かなりの分野に及ぶと思われます。

科研費は、減りつつあり、しかもヒモ付き(目的を明確にした予算)の割合が増えていると言います。
自由に研究できないため、研究分野もロスト・テクノロジー化が進み始めているのではないかと、不安になります。



日本は、富士山のような裾野の広い技術立国から、孀婦岩(そうふがん)のような特定の技術に特化した国になってしまったのかもしれません。

孀婦岩は、数百年から数千年で消えてなくなるだろうと、推定されています。
日本も、同じ運命を辿るのかもしれません。

孀婦岩とは違う運命に変えたいなら、裾野を拡げる施策が必要です。
無駄に思えるようなことにも、予算を付けてチャレンジしていくことが、大切だと思います。