豊葦原中津谷のニニギ

食糧自給率の向上を目指して! (2100年の日本へワープ)

カテゴリ: 癌日記

癌日記

 癌発見から入院前まで
  2013年12月  9日  どうやら癌になってしまったようです
  2013年12月11日  やはり癌でした
  2013年12月14日  気にしていないつもりだけど
  2013年12月17日  大腸カメラと注腸検査を受けてきました
  2013年12月18日  手術か、内視鏡か、決まらず
  2013年12月21日  手術日が決まりました
  2013年12月25日  今日は腹部CT検査でした
  2014年  1月  2日  癌とダイエット
  2014年  1月  9日  入院まで1週間を切りました
  2014年  1月14日  明日、入院します

 入院中
  2014年  1月15日  入院闘病記(入院1日目)
  2014年  1月16日  入院闘病記(入院2日目)
  2014年  1月17日  入院闘病記(入院3日目)
  2014年  1月18日  入院闘病記(入院4日目)
  2014年  1月19日  入院闘病記(入院5日目)
  2014年  1月20日  入院闘病記(入院6日目)
  2014年  1月21日  入院闘病記(入院7日目)
  2014年  1月22日  入院闘病記(入院8日目)
  2014年  1月23日  入院闘病記(入院9日目)
  2014年  1月24日  入院闘病記(入院10日目)
  2014年  1月25日  入院闘病記(入院11日目)
  2014年  1月26日  入院闘病記(入院12日目)
  2014年  1月27日  入院闘病記(入院13日目)
  2014年  1月28日  入院闘病記(入院14日目)
  2014年  1月28日  今日、退院しました

 退院後
  2014年  2月10日 ★退院2週間の検診を受けてきました
  2014年  3月19日  体調が戻ってきました
  2014年  3月22日  便通は安定しません
  2014年  4月  6日  お尻の具合がちょっと・・・
  2014年  5月14日 ★術後4ヶ月の検診を受けてきました
  2014年  7月12日  ショック! というか、やっちゃいました
  2014年  7月22日 ★術後半年目の検診を受けてきました
  2014年  9月15日  体調の近況
  2014年10月  8日  癌についての疑問
  2014年10月22日 ★術後9ヶ月目の検診を受けてきました
  2014年12月  9日  癌が見つかって丸一年
  2015年  1月27日 ★術後1年目の検診を受けてきました
  2015年  2月  3日  癌治療と仕事の両立
  2015年  2月18日  今日は、お腹の調子が・・・
  2015年  4月  2日  父の癌手術に立ち会ってきます
  2015年  5月26日  小児癌に思う
  2015年  7月29日 ★術後1年半の検診を受けてきました
  2015年10月  4日  生涯で何度ガンになるの?
  2016年  1月27日  がん退職しないで済む社会に
  2016年  1月27日 ★今日 大腸カメラを受けてきました
  2016年  2月  3日 ★術後2年目の検診を受けてきました
  2016年  8月  2日 ★術後2年半の検診を受けてきました
  2017年  1月23日 ★大腸カメラを受けてきました
  2017年  2月  1日 ★術後3年目の検診を受けてきました
  2017年  7月25日 ★術後3年半の検診を受けてきました
  2018年  1月16日 ★術後4年目の検診を受けてきました(1回目)
  2018年  1月23日 ★術後4年目の検診を受けてきました(2回目)
  2018年  7月18日 ☆心電図
  2018年  7月24日 ★術後4年半の検診を受けてきました
  2019年  1月15日 ★術後5年目の検診を受けてきました(1回目)
  2019年  1月22日 ★術後5年目の検診を受けてきました(2回目)
  2019年  9月17日  がんになって良かった

癌関連情報
 癌関連政策他
  癌罹患者が80万人を超えたそうです
  癌検診の標語?
  がん拠点病院の4割が新要件を満たさない?
  全国がん登録
  癌死亡率の削減目標 達成できず
  来年度から胃がん検診に内視鏡検査を追加 他
  癌の診療実績によると・・・
  癌患者の5年生存率は64.3%
  生きた癌細胞のバンクの設立へ!
  ガン死亡率 青森県が全高で最悪
  癌の10年生存率
  新規ガン患者が100万人台へ
  がん生存率 188病院公表
  乳癌と甲状腺癌

 治療法等
  子宮筋腫の内視鏡手術の危険性
  子宮頸癌ワクチンの副作用で脳障害?
  妊娠中の乳癌患者への抗癌剤治療
  オキシドールで乳癌治療の効果を向上へ
  卵巣がんに新薬
  癌治療前の凍結卵子で13年後に出産!
  前立腺癌に新薬増える
  膵臓癌にワクチン治療
  既存薬で癌転移を抑制
  癌免疫療法の推進施策

 研究等
 (治療)
  SUMOは癌治療薬に繋がるのでしょうか?
  分子標的薬の有力候補を発見
  肝細胞癌解析
  コレステロール薬で卵巣がん抑制か?
  心臓からの分泌ホルモンで肺癌転移を抑制か?
  90Y標識 抗ROBO1抗体
  遺伝子解析による癌の治療法の選択へ
  オオキンケイギクに抗がん作用?

 (検査)
  マイクロRNAで13種の癌を検査
  大腸癌 悪化の「目印」を特定!
  膵臓癌の検査キットを開発
  尿1滴で癌を診断
  小水から癌検診
  血液1滴で癌を検診
  おならで大腸癌検診? 恥ずかしい!!
  スマホで癌検診

 (研究)
  癌幹細胞を人工的に作成することに成功!
  癌の転移を促進する遺伝子を発見
  今度は癌の転移を抑える遺伝子を発見
  癌の転移の仕組みが判明か?
  細胞構造を高解像度で可視化

 癌治療関係の事件等
  千葉県がんセンターの腹腔鏡下手術で・・・
  千葉県がんセンターの手術後死亡について
  抗癌剤「ジェブタナ(カンパジタキセル)」投与後に5人が死亡

 その他
  癌は闘ってはいけない?
  スナック菓子の含有物質に発がん性
  小児癌の晩期合併症に光!
  食堂・胃癌接合部とは
  人類史上最古の乳癌患者
  日本海側は、胃癌が多い?
  下戸は、胃癌になりやすいって?!
  コーヒーや緑茶を飲むとどんな病気に罹らないの?
  民間療法について
  ゾウはガンになりにくい?
  加工肉で大腸癌のリスクが上昇!
  大腸癌は左より右が危ない?
  ストレスと癌の関係

有名人の癌闘病応援
  2014年  3月  8日  つんく♂さん、頑張れ!
  2014年11月  5日  メイナードさんの尊厳死について
  2014年11月12日  ぽん豆さん そして未来を考えて
  2015年  2月22日  坂東三津五郎さんがお亡くなりになりました
  2015年  4月  5日  つんくさんが声帯摘出を公表
  2015年  5月23日  丸山夏鈴さんが亡くなられました
  2015年  5月28日  今井雅之さんが亡くなられました
  2015年  9月19日  黒木さんが胃癌でお亡くなりになりました
  2015年  9月20日  川島なお美さん 治療に専念
  2015年  9月25日  北斗晶さんガンバレ
  2015年11月20日  北の湖理事長がお亡くなりになりました
  2016年  6月12日  全ての癌患者を応援します
  2017年  6月23日  小林麻央さんがお亡くなりになりました
  2019年  2月12日  池江璃花子さんが白血病を公表しましたね
  2019年  2月20日  堀ちえみさんが口腔ガンを公開しました
  2019年  4月15日  海部宣男さんがお亡くなりになりました
  2019年  6月  7日  阪神 原口選手に拍手

「癌日記」カテゴリーを追加しました。

このカテゴリーは、元々は、旧「風の谷の生活」に掲載していました。
ですが、ブログの引っ越しに合わせて、元々の掲載日時を設定して再掲載する事にしました。
この記事も、日付は2013年12月9日となっていますが、実際には2017年2月17日に書いています。
livedoorは、過去の日付も自由に設定できるので、ここに引っ越す事にしました。

流石に、120本の移動は容易ではないので、徐々に引っ越しを進めていくつもりです。
また、コメントも、記事の末尾に記載する予定です。


                            2017年2月17日(記)

二年前に大腸ポリープを切除した際、「二年後に、見せに来てください」と先生に言われていました。
たまたま、大きな仕事が一段落して、一週間の休みが取れたので、二年前にお世話になった先生のもとに行ったのですが・・・
 
大腸カメラを操作していた先生は、「ポリープがありますね。取りますか?」と話しかけてきました。
取ってもらえるようにお願いすると、切除するのに最適な位置へとカメラを移動させました。
その時。
「あれ、ここにもありますね。見えにくいですが、空気を抜くと、ここに見えますよね」
「できやすいのですか?」
「そうですね。でも、これは、外来では無理ですね。しかも、悪性の可能性があります」
「細胞診をできますか?」
「検体を採取すると、癌細胞が粘膜の下に潜り込んでしまう危険があります。触らないのが最善です」
大きな病院に行くしかないと、ようやく覚悟を決めました。
「紹介をしてもらえますか?」
先生は、二つの病院を候補に挙げてくれました。
 
まだ、ブログを初めて一週間余りしか経っていないのに、癌になってしまうとは・・・
とにかく、二日後です。
紹介された病院に行ってみるしかありません。

最寄り駅で下り、徒歩五分で紹介された病院に着きました。
初診なので、問診票には色々と書かされました。
最後の方に、「余命の宣告を受けますか」とありました。
私も、勝手に死ぬわけにはいかないので、「宣告を受ける」に印をつけました。
診察室では、紹介状に目を通した先生が、「癌に間違いないでしょう。ごく初期のものです」と言われました。
「転移の心配はないでしょうか?」と問うと、
「この状態では、転移していることは珍しいです」との答え。
正直、ほっとしました。
「手術が必要か、内視鏡で切除できるか、もう一度、大腸カメラと注腸透視をしましょう。CTもしましょう」
この後、触診と血液検査、心電図をとって終わりました。
大腸カメラは、大量の下剤を四時間半前から飲み始めます。
大腸カメラの予約は午前九時だから午前四時半起きになるし、自宅から病院までは電車で一時間以上も掛かるので、病院の近くのホテルを利用することにしました。
 
せっかくblogを開いているのだから、これからの癌との闘いや、癌にまつわる情報をまとめることにします。
そのために、癌日記を追加しました。

気にしないようにしようとしても、どうしても気になってしまいます。
元々、神経質で、直ぐに胃に来る体質なので、癌に罹患した事実が胃を攻め立てるようです。
食欲も落ち、朝食は少し食べ残してしまいました。
午前中に、ドラッグストアで胃薬を買って、昼食前から飲む事にしました。
気のせいか、少し楽になったようです。
 
 地の声
何をグダグダ言ってんだよ。
医者には、転移はしてないだろうって言われたんだろ。
おめぇよりキツイ治療をがんばってる人もいるんだから、性根をすえろ!

日曜日の夕方から、病院近くのホテルに移動し、今日の検査の準備をしていました。
なので、blogの更新は二日ぶりです。
 
きのうは、朝から検査食しか食べていなかったので、移動中にお腹が空いて閉口しました。
ホテルに入ると、直ぐに検査食の中の間食を食べました。
間食には、粉末のジュースがあったのですが、マドラーが無いので指で掻き混ぜました。
検査食の夕食は、粉末スープでした。
ジュースと違い、熱湯を混ぜなければならないので、指ではできないし・・・
仕方が無いので、歯ブラシの柄で混ぜた。
指定された薬を飲んで床に就いたのですが、時計のように正確に、1時間10分間隔で目が覚めるのです。
目覚ましは、午前4時20分にセットしていましたが、簡単に目覚めました。
4時半に、最初の下剤を飲み、 5時からは、千八百ミリリットルの下剤を十分ごとに飲むのです。
8時20分にホテルを出て病院へと向かいました。 
 
大腸カメラは、予約よりも少し遅れて始まりました。
「八割から九割の方が使われますが、鎮静剤は使わないのですか」
予想を超える高い比率に驚いたが、「大丈夫だと思います」と言って断りました。
ぼうっとしている間に何をされるかわからない(?)のが嫌だからです。
始める前に言われていたとおり、長々と検査は続きました。
何度もワイヤー状の器具を入れ、男女それぞれ二人のスタッフが相談しながら進められていくのです。
クリニックでは、大腸カメラの映像が見えたのですが、この病院では、大腸カメラのレーダードームが邪魔になって、映像が見えません。
気にはなるですが、どうしようもないと諦めました。
散々、腸の中を見られた後、「病変を見てきましたが、今から一番奥まで見ていきます」と言われ、うんざりで
した。
結局、五十分位は掛かったと思います。
だから、続けて予約していた注腸検査(大腸透視撮影)の予定に食い込んでしまいました。
急いで注腸検査室に移動したのですが、そこで三十分は待たされました。
急いで損をした気分です。
 
注腸検査は、お尻からバリウムを注入して、胃透視のように可動式ベッドの上で、体の向きを変えながら撮影します。
始まって直ぐに、「腸の働きを抑える注射を打ちましょう」と言われ、看護師がやってきて、うつ伏せの私に注射を打っていきました。
注射が終わると、更にバリウムを入れられました。
バリウムを入れるのも不快でしたが、それ以上に、腸を膨らませるために入れる空気の方が不快でした。
ポンプで、しゅぽしゅぽと空気を入れられるのです。
お腹の中で、ガスが溜まるように膨らんでいくのが分かります。
それも、お尻に近い方から順番に膨らんでいくのです。
パンパンに空気を入れられた後、お尻に差し込まれていたホースを抜かれました。
抜く際に、「漏らさないように注意してください。お尻に力を入れて」と言われるのですが、どこに力を入れればいいのか、分からないのです。
意外に難しいと、妙なところで感心しました。
撮影が終わると、いそいそとトイレに連れて行かれました。
トイレに入っても、直ぐにはガスが出ないので、ちょっと焦りました。
でも、しばらくすると、ガスとバリウムが出て、ほっと一息つくことができました。
 
結局、一週間の休みは癌のせいで無くなり、おまけに今日も休むことになりました。
明日も、午前中は主治医の説明を聞くために、仕事はお休みです。
合計で、10.5連休になりましたが、最悪の連休でした。

医師は、内視鏡の写真の染色部分を見せながら、「色がついていない部分が変異しています」と説明してくれました。
変異とは、癌化を意味します。
やはり、癌でした。
注腸検査の結果と見比べながら、「深さは分かりにくいですね」と悩み顔。
「検査の結果でも、カンファレンスとなっています。今日の午後にカンファレンスがあり、内科医や他の医師とも相談して決めます。その結果で、手術にするか、内視鏡で取るかを決めましょう」
「二十四日にCT検査する予定にっていますので、その後で結果を聞かせてください」とお願いしました。
医師は、診察予約を取ってくれました。
午後から仕事に戻りましたが、いつ手術になるかわからないので、長いスパンの仕事はできません。
だから、雑用に終始することになりました。

私の通う病院は、予約時間の三十分前に着くのが原則です。
再診手続きを済ませ、内視鏡検査室に行きました。
内視鏡室では、最初に通常の大腸カメラで病変を確認し、超音波内視鏡に変えたのですが、これが思うように動作しなかったのです。
悪戦苦闘の結果、超音波内視鏡は正常に動作するようになったのですが、苦労したにもかかわらず、病変の深さがはっきりしなかったです。
最後に、通常の大腸カメラにして、病変から検査片とポリープを取りました。
内視鏡で時間がかかりましたが、追加で通常の腹部レントゲンを二枚撮影して、検査は終わりました。
 
検査後、土曜日の外来をしない担当医が、駆けつけてくれました。
一通りの説明を聞いた後で、手術をすることが決まりました。
手術は、翌年の一月十七日、入院は二日前の一月十五日に決まりました。
なお、正確には大腸癌ではなく、直腸癌だと教えてもらいました。
 
これで、私の覚悟も決まりました。
かえって、すっきりした気分に変わりました。
 
 
ここで、今年の私の定期健康診断の結果の一部を公開したいともいます。
 白血球数      4100 /μl
 血色素量      17.1 g/dl
 GOT       23   IU/l
 GPT       18   IU/l
 γ-GPT       14   IU/l
 総コレステロール 211.0 mg/dl
 尿酸         4.3  mg/dl

上記以外の数値を含め、異常値はありませんでした。
大腸癌の初期診断項目である便潜血も、異常はありませんでした。
まあ、身長・体重・腹囲等は・・・ちょっと・・・
 
でも、肝心なことは、健康診断を過信しないことです。
私の場合は、たまたま2年前のポリープ切除時の医師の指示に従ったことで見つかりました。
こんな偶然がたびたびあるとは思えません。
皆さんも、定期的に大腸カメラや胃カメラなどで見てもらうことをお勧めします。


午後からCT検査があるので、また病院に行きました。
CTでは、造影剤を静脈に点滴で入れます。
「お尻も熱くなりますが、心配ありません」と言われたのですが、何のことかなと思っていたら、体が火照ってきました。
それが、点滴から1分も掛からないのです。
静脈から心臓を通り、肺でガス交換した後、心臓に戻ってから全身に循環していくはずです。
こんなに遠回りするのに、1分も掛からずにお尻にまで届くのです。
人間の循環の速さには、驚かされました。
 
入院の手続きを済ませ、診察です。
CT検査の結果、肝臓への転移はないこと。
これで、今回の癌は、勝算が高くなったと、心の中でガッツポーズ。
もちろん、完全に安心できるわけではありません。
CTの輪切りの間隔は、五ミリ単位。
癌細胞の大きさが五ミリ以下だと、CTに映らない可能性もあります。
正確には、大きさが五ミリを超える癌は無いということでしょう。
それでも、いい結果には違いありません。
「癌ですから、五年間は様子を見ていただく必要があります」と医師には釘を刺されました。
昔は二年生存が目安でしたが、今は五年生存だそうです。
 
癌との闘いは、優勝が無いトーナメント戦のようなものですね。
一度でも負ければ、そこでおしまい。
死ぬまで勝ち続けるしかありません。
ただ、実際のトーナメントでもそうですが、初戦で負ける場合が多いです。
私の親族でも、三人が癌でこの世を去りましたが、三人とも癌との初戦での敗退でした。
私は、初戦に勝機を見出すことができました。
何勝できるのか、それはわかりませんが、先が見えていることには違いありません。
 
癌では、四つのリスクを闘うことになると思います。
最初のリスクは、発見できないリスク。
次のリスクは、転移のリスク。
そして、手術や治療のリスク。
最後は、再発のリスク。
リスクと戦いながら、連勝を目指します。

元旦は、近所の崖地に出て、初日の出を拝んできました。
これが最後の初日の出にならないように、願をかけてました。
 
新年は、爽快な気分(?)で迎えることができました。
体調は、全く問題はありません。
本当に、直腸に癌があるのだろうかと思うほどです。
 
さて、本題です。
一般に、癌になると体重が減ると思う方が多いと思いますが、私は全く減りませんでした。
癌が見つかった直後には、食欲不振で少し減りましたが、今は元に戻ってしまっています。
初期の癌は、体重が減りません。
逆に言えば、体重が減る前に癌を見つけるべきです。
人間ドックなどで、少しでも早く見つければ、それだけ生存率も高まるはずです。
 
実は、私の従姉は、ダイエットをしている時に癌が見つかりました。
体重の減少をダイエットの効果と思い込み、癌の発見が遅れてしまいました。
彼女は、残念ながら助かりませんでした。
 
私が、ダイエットについて、一般での認識不足を指摘する記事をblogに書いたには、このような背景がありました。

仕事のの関係者に、入院する旨のメールを送りました。
でも、反応は無く、淋しさを感じただけでした。
 
この一ヶ月で、一キロくらい体重が増えました。 
体重が増えたことが良いのか悪いのか微妙ですが、ベストコンディションで手術を迎えることができそうです。
 
入院時の本を選ぶために、家の中から読んでいない本を集めてみました。
それが、思っていたよりも読み残している本が多くて、病院に持って行くには多すぎることがわかりました。
仕方がないので、ハードカバーは家に置いといて、文庫本だけ持っていくことにしました。
 
入院準備は、ほとんど整いました。
残るは、住民票とシャチハタだけです。
シャチハタは、仕事場から持ち帰ればいいので、実質は住民票だけです。
 
いよいよ入院、そして手術です。
おかしな話ですが、何が起きるのか、好奇心が疼き始めています。
要らぬ心配をして気に病むよりもマシだと、自分に言い訳しています。

明日、入院します。
 
午前中は、少し風邪っぽい感じがあったのですが、午後には何事も無かったように治まりました。
うんちは、少しゆるい気もしますが、こんなものと言えばこんなもの。
 
12月9日に癌が見つかってから一か月余。
主治医の先生は、「慌てなくても大丈夫」と言ってくださっていましたが、転移するのではないかと不安な日々を過ごしてきました。
それも、週末で決着がつきます。
 
ネットの世界には、管理人が亡くなったために放置されているHP、blogを集めているHPがあるそうです。
私は、まだ死ぬ予定はありませんので、もうしばらくは私のblogをお墓に入れないようにお願いします。
 
早ければ24日、遅くとも28日には復活できると思います。
その時まで、しばらくのお別れです。
 

――――――――――― << コ メ ン ト 転 記 >> ―――――――――――

伊牟田 勝美さん
はじめましてこんにちは (^^)/
がんばってくださいネ

ななみ 2014/1/15 18:03

退院しました。    
足も、ちゃんと付いています。
私も、私のblogも、墓に入らずに済みました。
 
今朝8時半頃、最後の回診。
今日で退院ですね」と言われ、嬉しくなりました。
担当の看護師さんに挨拶。手首のタグを、プチンと切って戴きました。
迎えに来た家族と一緒に荷物をまとめて、大勢の看護師さんに見送られて退院です。
振り返り、看護師さんが手を振っているのを見ると、一気に退院の気分
 
体調は、癌で入院していたとは思えないくらいに快調です。
ただ、便通は良すぎるというか、急に便意が襲ってくるし、すぐにトイレ  に駆け込まないと、大変なことになってしまいます。
 
生まれて初めての入院生活。 
興味深い経験でした。
これから、少しずつ紹介していこうと思っています。

入院中の様子を綴った日記を公開していきます。
今日は、入院初日の日記から紹介します。
 
【1月15日水曜日】
入院しました。生まれて初めてです。
主治医から手術の説明を受けました。
直腸と周辺のリンパを切除し、リンパへの転移を顕微鏡で調べるそうです。
転移が見つかれば、抗がん剤を投与することになるそうです。
大いに気になるところです。
一時的な人工肛門についても、説明されました。
一時的と言っても、二ヶ月から一年間も付けたままになるとのこと。
永久でも一時的でも、精神的には大差ないです。
 
病室も病棟も、快適です。
ただ、消灯時刻になると、TVも消さないと駄目なのが辛いところですが・・・
院内は、設備が近代的です。
四人部屋ですが、部屋の中にトイレと洗面台があるのです。
トイレには、個人用の自動計尿器が設置されていて、量と比重を自動計測する仕組みです。
ナースコールは、ナースステーションだけでなく、担当看護師が持ち歩くPHSにも通知されます。
面談室と会議室にはPCが設置されていて、ログインすれば、レントゲン他の画像や必要なチェックリストを表示できるのです。
食事は、五分粥であることを除けば、一般的な日本食です。
薄味だが悪くないです。
 
心配事は、体温が少し高めなこと。
朝は、三十六度四分だったのですが、昼は三十六度八分、夜は三十七度二分に。
痰も少し出ているし、軽い風邪の症状です。
便も、一度だけ下痢気味でしたが、体調自体は悪くないです。
 
遅い時間になって、看護師から人工肛門の説明を受けました。
模型を使って、人工肛門とパウチの基本的な使い方を聞きました。
最後に、「明日、人工肛門を作る位置を決めます」と言われ、落ち込みました。

今日は、入院二日目の日記から書きます。
日記に出てくる前夜の睡眠不足は、この先まで尾を引くのですが、この日は・・・
 
【1月16日木曜日】
夜中に何度も目が覚めてしまいました。
ほとんど一時間おきに目が覚め、五時以降は、ずっと起きていました。
 
病院の起床時刻は、6時です。
看護師さんが、電灯を点けて回ります。
7時。朝食よりも早く回診。
後で聞いたのですが、木曜日の回診は早いのだそうです。
「よく寝れましたか?」
「何度も目が覚めてしまいました」
「あしたは手術ですね。寝られないようなら睡眠導入剤を処方しましょう」
睡眠導入剤?
飲んだことはありません。
好奇心が湧きます。
 
8時半、下剤を飲みます。
これと前後して、食事が配られます。
でも、私のところには来ません。
明日の手術に備え、今日はおなかの中を空っぽにします。
 
9時。
剃毛とおへそのゴマ取りです。
処置台の上に仰向けに寝ます。
まずは、おへそのゴマ取りのはずでしたが、「きれいですね」と簡単に終わりました。
続いて・・・
「パンツを少し下げてください」
大腸カメラでお尻を見られてきた私は、羞恥心を失いかけています。
さっさと下げると、「そのくらいで十分です」とストップがかかりました。
バリカンで、ちょちょっと刈られ、すぐに終了。
「確認してもらいますので、待っていてください」
看護師は、もう一人の看護師を連れて戻ってきました。
ジロジロと剃毛の後を見られ、羞恥心が復活。
でも、こちらも問題なく終了。
 
10時。検温と血圧測定。
続けて、シャワーを浴びます。
ここでシャワーを浴びておかないとダメなんだそうです。
 
11時。下剤を飲みます。
 
12時。人工肛門の位置決めです。
私の病巣の場所でも、一時的に人工肛門を設けなければならない可能性があることは、入院初日に主治医から説明を受けていました。
「人工肛門は、筋肉の力で絞めるので、この辺に作る必要があります」
看護師さんは、私の右下腹を示します。
「でも、動いた時に剥がれると漏れてしまうので、お腹にしわができない場所を探さないとダメなんです」
意外に難しい注文です。
実際にしゃがんでみて、何本か補助線を書いて、良さそうな場所を探します。
「ここが良さそうですね。ここにしましょうか」
思ったよりも簡単に見つかり、ホッとしました。
決まった位置に印しを書き、上から透明なシールを張りました。
最後に、おへそを消毒して終了です。
なるほど。シャワーの前にはできない事だと納得しました。
「月曜日、パウチの貼り方をお教えします。月曜日に会いましょう」と看護師。
「月曜日には顔を見たくないですね」と冗談で切り返します。
彼女は笑って、「そうですね」と応えてくれました。
 
一時的な人工肛門は、小腸と大腸の繋ぎ目をパカッと切ってお腹から出します。
永久的な人工肛門が、大腸の最後の部分をお腹から出すのとは違っています。
なので、人工肛門を設ける位置が、右か、左かの違いがあります。
 
14時半。
薬剤師が、術前術後の投薬の説明をしてくれました。
全部合わせると、9錠もあります。
こんなにいっぱいの薬を飲んだことがないので、びっくりでした。
 
15時。投薬。
 
17時。
麻酔医からの説明を、家族と一緒に聞きました。
硬膜下麻酔。全身麻酔。筋弛緩剤。呼吸の管理。
手術をするために、力ずくで眠らされるのだと、何となく理解しました。
 
18時。回診。
「あしたは手術ですね。頑張りましょう」
全身麻酔なのにどう頑張ればいいのだろうと、心の中で苦笑い。
 
19時。検温と血圧測定。
熱は36度台。体調は問題なし。
 
21時。消灯。
でも、なかなか寝付けません。
睡眠導入剤を処方してもらいましたが、「下剤が効いてトイレに行きたくなるかも」って気になり、飲まずにいました。
睡眠導入剤は、翌日の手術に影響しないように、タイムリミットがありました。
深夜、タイムリミットになった時に、看護師さんがそっと持ち去りました。

今日は、入院三日目の日記から書きます。
この日は、手術当日でした。
 
【1月17日金曜日】
昨夜の睡眠導入剤は、飲みませんでした。
21時半頃に、自然に寝付いていました。
2時頃にトイレに行きたくて目が覚め、それ以降は寝られなくなってしまいました。
 
6時、起床。
病室がHCU室に変わるので、荷物をまとめなければなりません。
 
7時半、家族来院。
 
8時前、手術室に移動。
手術室の数に驚きました。
私が入ったのは、十五番の手術室でした。
おそらく、四番、九番、十三番が欠番のはずですが、それでも十二室もある計算。
手術室に入ると、幅六十センチほどの手術台に寝かされました。
下半身部分は柔らかい、不思議な作りです。
左手に輸液のラインを二つ確保。
左手中指には血中酸素濃度のセンサーのクリップ、右手にも血圧計。
指示通りに横向きになると、笑気ガスのマスクが顔の前に置かれました。
背中では、局部麻酔を四箇所も注射した後、硬膜下麻酔のカテーテルを入れていきます。
右の腰付近の二箇所に圧迫感。カテーテルで神経を圧迫していたのでしょうか。
硬膜下麻酔が終わり仰向けに戻ると、笑気ガスのマスクを付けられました。
「麻酔を入れます」と言うが、一向に眠くなりません・・・。
 
11時半ごろ?
麻酔が効いてこないと思ってましたが、瞬間的に眠りに落ちていたようです。
記憶がスパッと切れていて、意識が遠ざかる感覚が残っていないのです。
意識が戻ったのは、呼び掛けの声でした。
麻酔の説明で聞かされていた通り「手を動かしてください」と言われ、親指から順に曲げていき、逆順で開いてみせました。
二、三回はやるつもりでしたが、「はい、いいですよ」と言われ、ガッカリ!
「深呼吸してください」
お腹を膨らませるようにして深呼吸を繰り返します。
ただ、この後の記憶は途切れてしまいました。
 
12時過ぎ?
ガタガタ揺れるベッドの上で、意識が戻りました。
直ぐに部屋に入ったので、
「HCU室ですか」と声を掛けると、看護師が「そうです」と答えてくれました。
ベッドの位置が決まると、体中に色々な装置を取り付けられてしまいました。
左手の輸液ライン、左手中指の血中酸素濃度センサー、右手の血圧計はそのまま。
背中には硬膜下麻酔が刺さっているはず、鼻には酸素のパイプ、両足に血栓予防のエアマッサージャー、そして尿道カテーテル。
全部で八本もコードやパイプが、体に取り付けられているのです。
妙な感じです。
でも、意識はあるのですが、スッキリしない頭では、違和感を感じません。
手術した実感は無く、腹筋痛を感じる程度なのです。
 
12時半
装置の取り付けが終わり、家族が入ってきました。
時刻を聞くと、「十二時半」とのこと。
頭は働いておらず、手術時間を逆算することを考えもしませんでした。
窓の外は何も見えず、青い空が印象的でした。
顔を見て安心したらしく、家族は直ぐに帰っていきました。
 
4人部屋のHCU室には、次々に人が運び込まれてきました。
最後の人は、外が暗くなった後でした。
それぞれの家族は、現在時刻との差から、手術時間を逆算していました。
自分のも逆算すると、手術前の三十分、手術後の三十分を差し引いて、実質の手術時間が三時間半くらいでしょうか。
ほぼ、予定通りということでしょうか。
 
18時半?
最後の患者が運び込まれた少し後、今日の手術を全て終わったらしく、主治医が入ってきました。
「どうですか?」と言われ、「腹筋痛があるだけで快調です」と答えました。
事実、激しい腹筋運動した後のようでした。
 
昨日から一色も食べていないのですが、お腹は空きません。
ただ、HCUは夕食を配らなければならない患者は居ないので、静かなまま。
何かが足りない感じのまま、夜は更けました。
 
手術で失った体力を回復するため、そして入院して以来の睡眠不足を解消するため、ゆっくり体を休めようと思っていました。
ところが・・・・

手術の翌日の日記から書きます。
入院当日から続いている寝不足は、ここに極まれり!
 
【1月18日土曜日】
昨夜は、寝られませんでした。
隣がうるさかったのです。
HCU室は時計を持ち込まないことになっていました。
だから、隣の患者さんは、看護師が来るたびに時刻を聞くのです。
夜中の見回りでも、時刻を聞くので、そのたびに浅い眠りから覚まされるのです。
おまけに、電動ベッドを繰り返し操作するのです。
「背中に麻酔が刺さっているので、危険です。操作する時はナースコールしてください」と看護師に注意されても、それを無視して操作するのです。
私は、血圧計が二時間毎に計測していることを看護師から聞いて知っていたので、それを基準にして大まかな時刻はわかっていました。
隣が看護師に聞く時刻で、誤差を修正することはありましたが、一晩中、何時頃かわかっていました。
逆に言えば、ずっと寝れなかったのです。
唯一、午前三時頃から起床時間まで、ウトウトしただけでした。
 
時刻不明
おそらく、七時台。
足に付けられていた血栓予防のエアマッサージャーが外されました。
足首から脹脛へ毎分一回の割合で動くのですが、気持ちのいい装置でした。
右手の血圧計、左手の血中酸素濃度センサー、鼻の酸素チューブも、外されました。
スッキリ、開放された気分です。
 
七時過ぎ
主治医がやってきました。
今日は土曜日。
「いつ休んでいるんですか?」と医師と看護師に言うと、笑っているだけ。
 
電動ベッドを起こしてみると、途端に暑くなり、汗が噴き出してきました。
気にせずに更に起こすと、今度は気持ち悪くなってしまいました。
だから、直ぐにベッドを戻しました。
 
私のベッドは、HCU室の窓側にありました。
でも、窓から見える景色は空だけです。
窓まで行けば、スカイツリーが見えるはずですが、ままなりません。
看護師が来た時に、「今日の目標は、HCU室の窓からスカイツリーを見ることです。明日の目標は、歩いて七東病棟に戻ることです」と宣言してしまいました。
その第一段階として、ベッドを起こす練習を再開しました。
 
レントゲン撮影のために、機材を持ち込まれました。
四人部屋だから、四回被爆することになります。
でも、レントゲン技師が避難する距離を見ていると、被爆はほとんど無いと考えて良さそうだとわかりました。
 
十二時
朝に続いて、ジュースが出ました。
朝は、アップルジュース、昼は、オレンジジュース。
 
十四時頃
歩行練習が始まりました。
HCU室を出て数メートル歩き、洗面台で座って歯磨きをするだけですが、それさえ辛いのです。
ベッドに戻ると、直ぐに体を水平にして体を休めました。
家族が面会に来たので、ティッシュを追加し、時計を取ってきてもらいました。
時計代わりの血圧計を外されたので、時刻がわからなくなりそうだったのです。
 
十五時頃
ガスが出ない内に、便意を感じました。
看護師の補助でトイレに行ったのですが、何も出ません。
なんと、看護士にお尻まで拭いてもらう始末。
情けない!
でも、この時に看護師さんが私の今日の目標を思い出し、窓まで行くのを手伝ってくれました。
青空を背景にスカイツリーを見て、今日の目標は完遂です。
 
十六時半
家族が帰った直後にガスが出ました。
隣は、家族に取って来させた携帯電話を弄っているところを看護師に注意されていました。
業を煮やした看護師は、携帯をサイドロッカーの小さな金庫の中に入れたようでした。
 
十八時半
夕方のジュースが出ました。
今回は、ピーチジュース。
 
二十時頃
「血栓予防の注射をします」
そう言うと、看護師はお腹に注射の針を刺しました。
針が入った瞬間にビクンと腹筋が痙攣しました。
人生で、最高に痛い注射でした。
 
二十一時
隣は、消灯後もひっきりなしに電動ベッドを動かしていました。
それが、三十分も続くのです。
電灯を点けては看護師に注意されるし、手術後の体を癒す状況ではありません。
「眠れないのでしたら、睡眠導入剤を出しましょうか」との看護師の提案を隣の患者さんが受け入れてくれたので、ほっとしました。
事実、隣が寝てくれた二時間ほどの間、私も寝る事ができました。
 
二十三時半
隣のベッド周辺が、異常に騒がしくて、目が覚めました。
何かを複数の人間が担ぎ上げるような掛け声と音。
何かを運び込む音と足音。
電気も点いていて、大勢の人間が入り乱れているのです。
隣がベッドから落ちたのでしょうか?
ただ、私はいつの間にか眠りに落ちていました。

睡眠不足から、被害妄想に陥ってしまった私です。
この日の日記は22日に書いたのですが、その日まで被害妄想が続いていたようで・・・
 
【1月19日日曜日】
零時半
また、間が覚めてしまいましたが、お隣は静か。
 
一時過ぎ
隣が目を覚ましたらしく、電灯を点けて看護師に注意されていました。
看護師が出ていった後も、電動ベッドをいじったり、電灯を点けたり消したり、三十分おきくらいにゴソゴソしていました。
看護師が巡回に来ると大人しくして誤魔化すのですが、ナースコールで呼びつけるのです。
看護師の言葉に棘を感じますが、看護師には同情してしまいます。
 
四時頃
やたらと電動ベッドを動かしています。
動かし方が、それまでの大雑把な操作から、微調整を繰り返すところが違っていました。
おそらく、携帯電話を取ろうとしているのでしょう。
HCU室で携帯電話を使うとはふざけていると、心の中で憤慨。
 
六時、起床。
隣は、看護師に「携帯が無い」と訴えています。
看護師は、「ここに入っていますよ」と携帯を取り出して見せたようです。
 
七時、歩行訓練。
歩行訓練を兼ねて、歯磨きをしに行きます。
ただ歩くだけなのに、これが辛いのです。
昨日たてたばかりの目標の「病棟を歩いて移る」ことに、自信を無くしてしまいました。
 
九時、看護士交替。
交替した看護師とセンター試験の話題になりました。
彼女も、私同様、センター試験の経験者でした。
「天気が良かったですね」と大きな窓から青空を見上げました。
 
十時、病棟移動。
七東病棟へ移動です。
「車椅子で付いていくので、歩いてみてはどうですか」と看護師が言ってくれるので、点滴スタンドを転がしながら歩いてみました。
歩いてみると、意外に調子が良い!
余裕を持って歩ききれました。
入った部屋は、ナースステーションの隣。
ここで、硬膜下麻酔を抜いてもらいました。
 
十二時、昼食。
昼食の内容を見てビックリ。
ほとんど普通食。
うどんから始まり、鶏肉まであるのです。
念のため、看護士に確認したほどです。
食欲は無かったので、うどんを数本食べただけです。
看護師を栄養士に確認に行かせたのに、情けない食欲です。
 
十三時半
痛み止めを抜いたので、右腰から背中に至る鈍痛が我慢できなくなりました。
動き辛い状態になったので、ナースコールを使い、痛み止めをお願いしました。
 
十四時
家族が面会に来ました。
痛み止めの効果が出ていないので、しばらくは面会室で待ってもらいました。
その後、頑張ってみんなの所まで行ったのですが、十分くらいで限界を感じ、部屋に戻って横になってしまいました。
これを潮に、家族は帰っていきました。
 
十五時
初めての便が出ました。
真っ赤な便だったので、検体を取れませんでした。
大腸内の細菌の状態を見るために、便から検体を採ることになっていました。
医師に診せるので次回は流さないで見せてくれと、看護士に言われてしまいました。
 
十六時
左手首に痛みを感じ、見てみると、手首の血管が腫れていました。
ナースコールして、点滴を調整し直すてもらいました。
 
十九時、夕食。
五分粥を除けば、驚くほど普通の食事です。
食欲はなく、半分くらい食べてやめました。
看護師に便の話をすると、しばらく続く可能性があるとのこと。
気長で良いのだと、安心しました。
 
二十一時、消灯。
トイレに行きたくなった時に動けないと困るので、痛み止めを飲んでおきました。
 
二十二時
点滴が終わったらしく、看護師が静かに入ってきました。
左手首に点滴を固定していたテープを、看護師はべりっと剥がしました。
手首全体に広く貼られていたガムテープのようなテープを一気に剥がすのです。
痛いのなんのって!
でも、四夜連続の睡眠不足のお蔭?で、痛さも眠気に負けて気になりませんでした。

退院から2週間経ちました。
 
八時過ぎに家を出て、病院に向かいました。
電車は混雑が酷く、お腹に力が入り、手術痕に痛むほどでした。
 
病院に着くと、生命保険用の書類を受け取りに窓口に行きました。
続いて、二階に上がり、診察を受けました。
「手術の時に取ったリンパには、転移はありませんでした」
ここまでは、理想的な経過です。
「経過は、いいですね」
私もそう思います。
「あさってから仕事に復帰してもいいですか?」
すると、❝まだ復帰していなかったの?❞といった表情です。
私としては、主治医のOKをもらってから復帰しようと思っていたのですが。
「次は、五月に来てください。その次は、七月です。予約を入れておきましょう」
手元のPCで予約を入れ、プリントアウトした紙を戴きました。
 
診察後の待合室で、同じ日に手術を受け、同じ日に退院した人とお会いしました。
元気にされていて、嬉しくなりました。
その後、病棟に上がり、退院時に会えなかった看護士に挨拶をしてきました。
 
これで、仕事復帰への最後の関門を通過しました。

一般病棟に戻った時、家族がi-podを持ってきてくれました。
i-podには、クラッシック、ポップス、アイドル等々、いろんなジャンルの曲が入っていました。
半強制のノンジャンルですが、意外や意外! アイドルがGoodなのです。
入院中の私のお薦めは、❝AKB48❞です。これが一番!!
次が、ちょっと差があって❝嵐❞です。
本当は、ドリカムやコブクロが好きですが、入院中の体調では少し重いのです。
でも、AKB、特にヘビーローテーションは、明るくて楽しくて最高です。
折しも、大島優子さんの卒業発表でヘビーローテーションが再ブームとなっている頃でした。
アイドルの存在価値を知った二週間でした。
 
 
【1月20日月曜日】
六時、起床。
夜中に何度か目が覚めましたが、よく眠れました。
十六日の夜から三晩連続で寝られない日が続いていたので、一気に疲れが取れた気分です。
 
七時、朝食。
一緒に痛み止めを飲みました。
今の病室は、本来は重症患者用なので、トイレがありません。
二十メートルほど離れた障害者用のトイレを利用することになります。
そこで、出た小水を貯尿器に溜めていくのです。
歩く距離があるので、傷が痛むとトイレに行かれなくなってしまいます。
痛み止めを飲んでも、効き始めるまでに一時間くらい掛かるので、先を見越して飲んでおく必要があります。
でも、点滴が無くなったので、随分身軽になりました。
 
十時、おやつ。
午前中にもおやつがあることを始めて知りました。
入院初日は、昼食からでした。二日目は絶食でした。手術当日も絶食でした。四日目は、ジュースだけ。五日目も、ゼリーだけでした。
だから、入院して初めて十時のおやつを食べました。
直後に二回目の便が出ましたが、昨夜より少しマシなだけで、やはり赤い便です。
検体は取れませんでした。
 
十一時
レントゲンがあると聞いていたのですが、時間が決まらずに部屋で待っていると、「髪を洗いませんか?」と声を掛けられました。
「レントゲンの順番を待っているんですが」
「大丈夫ですよ。レントゲンは、多少の融通が利くから・・・」
「それなら」と、ついて行きました。
病棟に洗髪室があることを初めて知りました。
洗髪は先週の木曜日以来なので、すっきりとしました。
 
洗髪室から戻ると、ちょうどレントゲンの呼び出しがありました。
エレベータホールで他の患者さんと一緒になりました。
行き先が同じだったので、一緒に行くことにしました。
レントゲンは、立位で二枚、ベッドで一枚撮影します。
でも、ベッドから起き上がる際、傷が痛み、技師に手助けしてもらう始末でした。
 
十二時、昼食。
 
十四時半
家族が面会に来ました。
 
十六時頃
便が出ました。
過去の二回に比べると、血の量が減った気がします。
看護士は、念のため、医師に見てもらうようにしてくれました。
 
十八時、夕食。
続けて回診もありました。
便を見た若い医師も一緒に回診に来ていました。
「便の方は、もう少し様子を見てみましょう」とのこと。
段々と血の量が減っているので、次か、次の次あたりで、正常に戻ると期待。
 
二十一時
痛み止めを飲んでおきました。
夕方から、傷が痛み始めていました。
夜中に痛むことが怖いので、痛み止めは先に飲んでおきます。
いつまでも痛み止めに頼るわけにはいかないので、少しずつ減らしていこうと思います。

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