豊葦原中津谷のニニギ

食糧自給率の向上を目指して! (2100年の日本へワープ)

カテゴリ: 癌日記

今日は、入院七日目の日記から。
 
 
【1月21日火曜日】
六時、起床。
 
七時前
血栓防止の注射。ちょっと痛い。
血栓予防の注射はお腹に打つので痛いのですが、看護師さんによってはほとんど痛くない時もあるのだなと、気付きました。
朝食は、七割くらいを食べることができました。
少し、食欲が出てきました。
 
八時
公衆電話で仕事の関係者に電話しました。
手術は成功したこと、仕事復帰は三週間後くらいになること等を話しました。
便が出たのですが、状態は三回目と同レベル。
今回も、検体は採れませんでした。
 
十時
また便が出ましたが、これも三回目と同レベル。
なかなか前に進みません。
 
十二時、昼食。
直後に、便が出ましたが、またまた三回目と同レベル。
 
十三時
腰や傷に痛みを感じ、痛み止めを飲むことにしました。
今日だけでも四回目の便
でも、血の量が増えて、しかも真っ黒な便でした。
通算七回目の便でこの状態になり、ショックを受けて寝込んでしまいました。
 
十四時前
重い体を起こして、ミニコンサートを聴きに部屋を出ました。
今日の目標は、「一階で行われるミニコンサートを聴く」でしたので、気持ちを入れ替えて出かけました。
ディルームの付近で家族に会い、一緒に一階に下りることにしました。
音大の学生によるボランティアで行われるミニコンサートは、ピアノとソプラノの組み合わせです。
ベーシックな曲を何曲か聴いていたのですが、終了直前に便意を感じ、七階に戻りました。
八回目の便には血が混じっていませんでした。
検体も採れ、これで最後のハードルを越えたことになりました。
 
十五時半頃
家族は帰っていきました。
 
十七時頃
回診です。
便が正常になったことを伝えましたが、返事は一言、「順調です」
 
十九時頃
主治医が単独で回診に来ました。
ざっと見て、こちらも「順調です」
 
二十時頃
看護師が来ました。
「明日、部屋が移動しますね」
一般病室に移動するという意味です。
「助かります。トイレが遠くて大変でしたから・・・」
 
二十一時
今夜も、念のため痛み止めを飲んで、就寝。

この日、一般病室に移ったことを機に、手術日以降の日記をまとめ始めました。
最後の関門を越えたこともあり、この日からは一気に回復していったことを覚えています。
 
【1月22日水曜日】
六時、起床。
 
七時、朝食。
初めて完食しました。
痛み止めを飲まないで頑張ってみることにしました。
調子は良いし、気分も良かったので、昼間なら大丈夫だろうと思ったからです。
 
八時過ぎ
部屋の引越しとレントゲンがダブり、ばたばたしました。
でも、月曜日とは違って、レントゲンの順番が直ぐに回ってきたので、レントゲンから済ませることができました。
レントゲンでは、体の回復ぶりを実感できました。
月曜日には、撮影台から起き上がるのに苦労したのですが、今日は手助け無しに起き上がれました。
 
十時前
引越しをしました。
新しい病室は、七五三号室。
それも一番ベッド。
七・五・三・一。
考えてみると、この病院でこんなに綺麗な番号になる病室は、他に無さそうです。
引っ越しと同時に、おやつが届きました。
当たり前ですが、部屋を替わったことをちゃんと把握していたようです。
 
十二時、昼食。
完食。
便は、血が混じらなくなりましたが、真っ黒で岩海苔のような状態です。
痛み止めや血栓防止の薬の影響なのでしょう。
 
十四時過ぎ
家族が面会に来ました。
院内を案内してまわりました。
気分が晴れた証拠です。
少し傷が痛みますが、気になりません。
 
十六時
家族は帰っていきました。
この時間、看護師の交代と回診があるので、ベッドで大人しくしています。
看護師は、十六時四十五分に交代するのですが、交代と同時に回ってきます。
 
十九時、夕食
朝から完食が続いています。
体調も良いです。
 
二十時
結局、痛み止めを飲むことにしました。
痛みはあいませんでしたが、夜中に痛みでトイレに行けなくなるのが怖かったのです。
 
二十一時、消灯。

今日は、1月23日の日記から書きます。
 
この日、入院して初めて屋上庭園に出てみました。
そこには、中学生くらいの少女が居て、庭園の端から端まで速足で何度も往復していました。
彼女も、癌と闘っているのです。
歩いていたのは、リハビリのためなのか、手術に備えて体力を維持するためなのか、それとも別の理由なのか、私には分かりません。
今は元気になって退院していてほしいし、そうなっていると信じています。 
 
 
【1月23日木曜日】
 
六時、起床。
起きて歩いてみました。
病棟の窓は、方角ごとに見えるものが違います。
東の窓は、日の出が見えます。
北東の窓はスカイツリーが、北の窓は東京タワーが、北西の窓は富士山が見えます。
東の窓から見ると、水平線付近は雲がかかっていました。
そのせいか、今朝は常連さんがいません。
北西の窓に移動すると、淡いピンク色の富士山が見えました。
木曜日は回診時間が早いので、早々に部屋に戻ることにしました。
 
七時、朝食。
完食です。
体重を計ると、約1kg減っていました。
いっぱい小水が出ているので、そのせいで体重が減ったのでしょう。
 
九時
看護士交替。
今日と明日の予定を聞くと、明日は栄養士の相談があるだけだそうです。
 
十時
ディルームで過去の日記を書き始めました。
 
十一時
シャワーを浴びました。
まる一週間ぶりのシャワーは、すごく気持ち良かったです。
 
十二時、昼食。
昼食後、ベッドで昼寝。
 
十四時半
家族が面会に来たので、屋上庭園に行ってみました。
十代の少女も、散歩していました。
彼女も闘病中なのでしょう。
屋上庭園と同じ階にある喫茶に、場所を移しました。
メニューは多くありませんでしたが、オレンジジュースを注文しました。
 
十六時
家族は帰宅。
 
十七時、回診。
 
十九時、夕食。
おやつを含めて、全て完食。
 
二十一時、消灯。
まる二十四時間、痛み止め無しで動くことができたので、勇気を持って痛み止めを止めることにしました。
でも、ちょっと不安。

今日は、1月24日の日記から転載します。
体重が減り続けていました。
手術の翌日の体重測定では、僅かですが手術前より増えていました。
でも、それ以降は体重は減り続けていました。
 
 
【1月24日金曜日】
六時、起床。
朝の廊下を一周する習慣になりました。
東の空からは、何とか朝日が見れそうですが、北西の窓からは富士山は見えませんでした。
北の窓から見る東京タワーは、もう電飾が消えています。
しばらくすると、東の窓は、常連が陣取ってしまいました。
 
七時、検温と採血。
 
八時、朝食。
朝食後に計った体重は、昨日から更に減っています。
前の病室に居る時の貯尿量を思い出すと、十六日から十七日の二十四時間で、約二千八百、翌日は、二千四百でした。
手術時の輸液は落ち着いてきているようですが、体重は減り続けています。
 
九時頃、回診。
 
九時半ごろ、家に電話。
十五時から栄養士の相談があるので、早めに来た方が良いと伝言。
 
十時、レントゲン。
すぐに順番が回ってきたので、助かります。
前回、前々回と一緒だった人と、また一緒になりました。
ディルームで聞いた話だと、間もなく七十歳だそうです。
癌の位置は、上行結腸から横行結腸になる部分にあったそうです。
私の癌は、S字結腸(直腸)にありました。
 
十一時半
シャワーを浴びました。
一般病棟に上がった時から使っていたオムツを、今日からやめる事にしました。
五日前は、体を思うように動かせず、便の不安が強くて、念のために成人用のおむつを自主的にしていました。
一度もお世話になることはありませんでしたが、不安を取り除くことはできました。 
シャワーを浴びる時間は、今日からこの時間に変えました。
この後の行動を考えると、昼食の直前にシャワーを浴びるのが良いと気付いたのです。
 
十二時、昼食。
 
十五時前
家族が面会に来ました。
十五時から栄養士の相談があるので、ディルームで待つように告げました。
一階に下りると部屋が複数あって、どの部屋かわからなくなってしまいました。
予定表を持ってこなかったのを反省し、部屋から予定表を持って出直しました。
十五分ほどで、栄養士の話は終わりました。
退院後の食事療法の説明でした。
内容は、ちょっと意外でした。
豆類、きのこ類、刺激物が悪いが、肉や魚は問題ないというのです。
特に繊維の多い筍やゴボウ、レンコンは、避けた方が良いそうです。
面白いのが納豆!
良質のたんぱく質を含んでいるので、本来はお奨め食材ですが、豆のままなので、グレーゾーンだそうです。
「健康食品がダメで、肉類がいいんですね?」
「そうですね。でも、刺激物はだめですよ」と釘を刺されました。
 
十六時、家族は帰宅。
病室に戻る時に担当の看護士さんを見かけたので、声を掛けました。
処置があると、聞いていたのです。
すると、「今、やりましょう」とのこと。
処置は、トイレが近くなってお尻が腫れていないか確認することと、軟膏で処置することでした。
お尻をポロリと出すと、「ちょっと爛れているので、軟膏を塗りましょう」と、処置してくれました。
 
十七時、回診。
 
十八時、夕食。
ご飯が足りません。
お腹の調子が良くなり、食欲が病院食の量を超えてしまったのです。
もちろん、完食。
 
二十時、検温。
 
二十一時、消灯。

今日は、1月25日の日記から転載します。
この日、私と同じ日に胃癌で入院された方が翌日に退院すると聞き、少し焦り始めたのを覚えています。
 
 
【1月25日土曜日】
六時、起床。
水平線は、雲が掛かっています。
それでも、窓際の椅子には人がいました。
体重は、昨日から一キロ減っていました。
 
七時、朝食。
足りない。
全然足りないのです。
パッと見ただけで、「これだけ?」と思ってしまうのです。
食欲が出てきている証拠です。
食後の体重は、きのうより五百グラムくらい落ちていました。
食欲はあるので、病院食が足りないのでしょう。
 
十時、検温。
続いて回診。
「病院食が足りないので、牛乳を足してもいいですか?」と聞くと、「ゆっくりなら」とのこと。
ディルームに出ると、入院時に一緒にVTRを見た人が、「明日の退院が決まりました」と言うのです。
胃の切除手術を同じ十四日にしていたし、私と比べて、経過はそれほど速くなかったはずですが、先に退院することになりました。
寂しさと焦りを感じました。
でも、ラッキーなことに、雑誌テレビジョンをもらいました。
今日から二週間分の番組表が記載されている新しいデレビジョンです。
その方は、これを買った途端に退院が決まったそうです。
 
十一時半
シャワーを浴びました。
 
十二時、昼食。
 
十三時
大河ドラマを見ました。
テレビは、プリペイドカード方式です。
テレビジョンをもらったので、見たいテレビだけを見れます。
 
十三時半
家族が面会に来ました。
 
十四時半
家族は帰宅。
岩海苔のような便が続いていたが、量を除いて、手術前と同じ状態に戻りました。
 
十八時、夕食。
 
二十時、検温。
 
二十一時
本来は消灯時刻なのですが、中々消灯になりません。
 
二十二時
トイレに行った際にナースステーションの様子を見ると、看護士が気付いて消灯に来ました。
何か事務仕事に追われていたのでしょう。

今日は、1月26日の日記から転載します。
 
2月22日にマイアミに到着したホーランドアメリカラインのクルーズ客船「フェーンダム」で、ノロウィルスの集団感染が疑われています。
ホーランドアメリカラインと言えば、私の中では老舗のクルーズ会社。
その老舗でも食中毒を防ぎきれないというのは、ちょっとショックでもあります。
 
さて、病院食ですが、悪くないのです。
お粥は苦手ですが、それ以外は全く問題ありませんでした。
ただ、食いしん坊の私には量が足りませんでした。
その証拠に体重が・・・
 
 
【1月26日 日曜日】
六時、起床。
 
六時半、体重測定。
院内の放送で、「体重測定をしますので、ステーション前にお集まりください」と流れました。
早速、ステーションに行きました。
体調の良い人は出足が良く、不覚(?)にも私は三番目でした。
体重は、秘密です!
きのうから0.7キロ減っていました。
 
七時、朝食。
食後は、0.6キロ増えていました。
体調が良いので、暇で仕方がありません。
ディルームの書棚から「のぼうの城」の上下巻を持ってきて読み始めました。
 
十時、検温。
だが、検診はまだ来ない。
 
十時半
見たことがある顔がナースステーションに!
仕事の関係者が、見舞いに来てくれたのです。
直ぐに声を掛け、ディルームに移動。
お見舞いの品も頂きました。
 
十一時過ぎ
もう一人入院しているそうで、これから見舞いの梯子だそうです。
次の病院へと移動していきました。
シャワーを浴びようと思ったのですが、着替えが無いのでシャワー予約をキャンセルしました。
 
十二時、昼食。
 
十五時
家族が見舞いに来ました。
ディルームは満員。
病棟に入る前に見た一階も混んでいたとのこと。
仕方がないので、部屋で静かに過ごしました。
 
十六時半
家族は帰っていきました。
暇になったので、「のぼうの城」の続きを読みました。
 
十七時、回診。
「明日、主治医が来るので、退院を聞いてみましょう」とのこと。
 
十八時、夕食。
「のぼうの城」の続きを読みます。
 
二十時、検温。
 
二十一時、消灯。

今日は、1月27日の日記から転載します。
 
この日も体重が減っていました。
あれから30日。
今では3.8キロ増えて、元に戻ってしまいました。
アハハ・・・
 
 
【1月27日月曜日】
六時、起床。
 
七時、朝食。
朝食前の体重は、0.4キロの減少。
食後は、昨日の食後との比較で0.2キロの減少。
体重が落ちていっていますが、間食で落ち方がゆっくりになっています。
 
七時半
突然、カーテンがパッと開き、主治医が顔を見せました。
「体調は良さそうですね。明日の退院でいいですか?」
「ええ。お願いします」
体調は快調で、病院に居ることの意味を感じなくなっていました。
むしろ、居辛いくらい元気でした。
 
八時過ぎ、回診。
いつもと同じ「順調です」の一言。
今日は、「明日、退院ですね」の一言が付きました。
 
九時
看護士が交替の挨拶。
間もなく、検温にやってきました。
前後して、部屋の掃除も終わりました。
今日は、やたらと早く、ルーチンワークが終わりました。
ディルームに移動して、昨日の日記を思い出しながら書きました。
 
十時半ごろ
職員が、十五日までの会計を持ってきました。
手術代が大きく、請求額の大半を占めていました。
 
十二時、昼食。
 
野村萬斎さんを想像しながら(映画は見ていません)、「のぼうの城」を読み続けました。
退院が決まったものだから、病院の備品である「のぼうの城」は今日中に読み切らないと・・・
 
十九時、夕食。
やはり、足りません。
一階のコンビニに行って、シュークリームと飲むヨーグルトを買ってきました。
 
二十一時、消灯。

今日は、1月28日の日記からの転載です。
入院闘病記もこれで終わりです。
退院してから、もう一か月も経っていたのですね。
 
あっ、それから「のぼうの城」は無事読み終わりました。
 
 
【1月28日火曜日】
日の出がきれいです。
空気は乾燥しているようです。
体重を計ってみると、減少に歯止めが掛かりました。
昨夜の間食が効いたようです。
 
八時頃
主治医からホームドクター宛の手紙を託されました。
 
八時半頃
最後の回診です。
体に残るテープについて質問したところ、剥がれるにませるようにとのこと。
私のお腹には、四隅とお臍にテープが貼ってあります。
腹腔鏡手術で、手術器具を差し込んだ痕です。
 
九時頃
担当の看護師に挨拶を済ませました。
親しくしていた看護師で、一人だけ挨拶ができなかった人がいるのが心残り。
手首に巻いてあったタグを切って戴きました。
 
九時半
家族が迎えに来てくれたので、荷物を整理して退院です。
大勢の看護師さんに見送られ、退院の気分になりました。
一階に下りて、保険の手続き、入院費の会計を済ませました。
 
電車で帰路に就きました。
途中駅で、屋根に雪が載った電車を見かけました。
どこから来たのか、不思議???
 
電車は、正直なところ、メチャメチャ不安でした。
とにかく、トイレが極端に近いのです。
入院中は、病室にトイレがあったので、ほとんどの場合は1分以内にトイレに飛び込めました。
何せ、少ない日でも4回、多ければ8回も便が出るのです。
トイレを済ませて立ち上がっても、その瞬間に新たな便意が来て、また座る。
そんな事もあるくらい、トイレが近いのです。
電車に1時間も乗るので、ずっと不安でした。
でも、案ずるよりも産むが易し!
家に着くまで、特に便意もなく、無事に帰り着きました。

つんくさんが、自らの喉頭癌を公表されました。
 
 
私も、blogだけでなく、私の周囲の方に対しても、癌を公表しています。
 
私の直腸癌は、早期発見でした。
痛みはもちろん、体重減少も、便潜血検査も、異常がありませんでした。
2年前のポリープ切除が切っ掛けで、たまたま大腸カメラをしたから見つかりました。
こんな幸運は、そうそうあるものではないでしょう。
 
幸運を期待するのではなく、検査で幸運を引き寄せてほしいのです。
少なくとも、私の周りの方には、異常が出る前に検査をしてもらいたいのです。
そして、早期に発見して治してほしいのです。
 
大腸癌や直腸癌は、ステージⅠならほぼ全員が助かります。
ステージⅡでも90%近くが五年生存を果たします。
でも、ステージⅣでは13%しか五年生存できません。
早期発見こそが、最良の治療方法と言っても良いくらいです。
 
 
つんくさんは、早期発見だそうです。
おそらく、今と変わらない体まで回復できるはずです。
 
早期に復活されることを祈願いたします。

金曜日から、少し体調を崩していました。
それでも、土曜日までは何とかなっていましたが、日曜日からはダウンしていました。
食欲がほとんど無くなり、この三日間で体重が1.5kgも減りました。
(ダイエット成功?!)
 
仕事ができるような体調ではなく、三日間、仕事を休んでいました。
体調の割には熱は高くなく、一時的に37度を超えましたが、すぐに下がりました。
熱だけを見れば休む必要はなかったのですが、体重の変化を見ると・・・
ここ一か月間、増減なく維持してきた体重です。
癌という病気からも、体重が減るのは少し怖いですね。
 
近々、退院して以降の体重変化や便の回数をグラフ化したものを公開するつもりです。

術後、便通がなかなか安定しません。
看護師さんから「半年から1年くらいは回数は多いですよ」と教えられていました。
まだ、二か月余りしか経っていないので、仕方がないのですが・・・
 
術前との違いは、回数が多いだけではありません。
便が出ると、次が近くなりました。
極端な場合、便座から立ち上がっただけで次が来ます。
もう一つの違いは、稀に白い粘液状の便が出ることです。
 
さて、便通が落ち着かないと思っていましたが、
グラフにしてみると、どうやら順調に回復しているようです。
意外でしたが、少し嬉しくなりました。
 
イメージ 1

久しぶりの癌日記です。
「久しぶり」ということは、体調が良いということです。
先月の中旬、一時的に落ちていた体重は、今は取り戻しました。
 
でも、やはり手術の後遺症はあります。
便の回数は落ち着いてきましたが、今でも一日平均は2回以上です。
特に、ここ数日は回数が増えていて、痔になりかけているようです。
入浴時に指先で確認したところ、何かできているようだったので、
病院でもらっていた塗り薬を塗りました。
このお薬は、下着にシミを作ってしまうので、尿漏れパッドを当てることにしました。

3ヶ月ぶりに病院に行きました。
術後検診です。
 
血液検査のために採血をされました。
予定の時間より少し遅れて、主治医の診察を受けました。
この間に、採血の検査結果が出ているのです。
早いですね。
 
血液検査の結果は、腫瘍マーカーも範囲内に収まっており、良好でした。
腫瘍マーカーについて、主治医に聞いたところ、
大腸癌の腫瘍マーカーなので、他の癌は胃癌の進行癌が分かるくらいだそうです。
手術の傷痕も綺麗、便の回数も平均で3回弱で、これくらいなら問題ないそうです。
総合評価は、順調とのことです。
 
診察後に病棟まで上がってみましたが、顔見知りの看護師さんは会えませんでした。
 
 
 
考えてみると、ずいぶん久しぶりの癌日記です。
前回は、4月5日ですから、1ヶ月以上も間隔が開いてしまいました。
それだけ、体調が良かったという事でしょうか。

国立がん研究センターが、
1年間にがんに罹患した人が80万人を超えたと、明らかにしました。
 
男性は、胃癌、肺癌、大腸癌の順、
女性は、乳癌、大腸癌、胃癌の順に多いそうです。
 
2010年の癌罹患者は80万5236人でしたが、
2012年に癌で亡くなった方は36万963人だったそうです。
生涯で癌に罹患する確率は、男性で60%、女性では45%と推定されますが、
癌で死亡する確率は、男性で26%、女性で16%にしかならないそうです。
癌で死亡した方には、癌が遠因となった多臓器不全等は含まれていないでしょうが、
癌に罹患した方の半分以上は、癌では亡くなっていないのです。
 
この数字は、私には勇気を与えてくれます。
再発を早期発見し、天寿を全うできるまで生き抜きたいと思います。
そして、「豊芦原中津谷」を建谷したいと思います。
 

宮筋腫の内視鏡手術で、病変に癌があった場合には、筋腫を切る器具によって癌を腹部内でまき散らしてしまう危険性があることが分かったそうです。
 
子宮筋腫手術で摘出した病変に癌がある確率は、約300分の1だそうです。
つかり、子宮筋腫手術を300回行うと、
単純計算で、そのうちの一人は、癌が腹部内に広がってしまうわけです。
子宮筋腫の患者は年間10万人ですから、年間300人が癌が悪化する計算です。
 
癌である確率自体は低いかもしれませんが、
筋腫は癌の可能性を考えながら治療を行うものだと思います。
 
部位は違いますが、同じ癌患者としては、許せない気分です。

最近、下着が汚れることが続いていましたが、今日は大丈夫でした。
便が緩いせいなのでしょうか。
(それとも、食べ過ぎ?)
 
 
ところで、こんな標語を考えてみました。
 
 症状が出てからでは、もう遅い!
 毎年受けよう 癌検診
 
ちょっと、強烈過ぎるでしょうか。
症状が出ているから手遅れだと言うことではありません
早く発見できれば、生存率はもちろん、治療も楽ですし、費用も少なくて済みます。
 
私は、幸運でした。
偶然にも、初期癌が見つかり、手術で取り除くことができました。
私と同じ幸運を呼び込むには、定期的に癌検診を受けるしかないと思います。
このblogを見てくださる方には、
是非とも定期的に癌検診を受けられることをお勧めします。

千葉県がんセンターで、同一医師による腹腔鏡下手術において、
2012年9月に手術を受けた女性は、同日中に亡くなったそうです。
2013年1月に手術を受けた男性は、翌日に亡くなったそうです。
2014年2月に手術を受けた男性は、2週間後に亡くなったそうです。
 
これとは別に、
2008年6月に手術を受けた男性は、9ヶ月後に亡くたったそうです。
2008年11月に手術を受けた別の男性は、5ヶ月後に亡くなったそうです。
2010年1月に手術を受けた三人目の男性は、1ヶ月後に亡くなっています。
この3件も、腹腔鏡下手術でした。
ただ、手術から亡くなるまでの時間が比較的長いので、
(亡くなるまでの経過が分かりませんが)手術との関係は薄いのかもしれません。
 
 
私が受けた手術も、腹腔鏡下手術でした。
腹腔鏡下手術は、開腹手術よりも患者の負担が格段に軽いので、
今では、多くの症例が腹腔鏡下で手術されているようです。
一方で、開腹手術よりも高い技術を求められるそうです。
 
私たち患者は、医師を信じるしかありません。
でも、医師の立場で見ると、毎日のように命を預かり、激しい緊張下で繊細な作業を要求する腹腔鏡下手術を行うのは、相当に厳しい仕事でもあります。
 
 
千葉県では、第三者検証委員会が立ち上がっているそうです。
正確な検証が行われ、患者のみならず、医師にとってもメリットのある対策が実施されることを期待しています。



――――――――――― << コ メ ン ト 転 記 >> ―――――――――――

4Kだか8Kだかの技術を内視鏡に導入する研究が進められているそうです。現状の製品よりも格段に仕事がやり易くなることが期待されているとか。

平山 茂 2014/6/18 10:12

千葉県がんセンターにおいて、同一医師による腹腔鏡下手術で3人の患者さんが
亡くなった問題で、第三者検証が行われています。
 
このような問題が発生した場合に多い対策は、規制とチェックを増やすことです。
組織として問題を発生させないために、組織内でのチェック機会を増やすのです。
チェック機会が増えると、チェックする側にとっても、される側にとっても、
負担が大きくなります。
しかも、チェック自体は治療には関係が無いので、どうしても形骸化しやすいのです。
 
医療の門外漢の私が、これ以上に踏み込むことはできません。
ただ、広い意味では同じ技術系の人間として、技術以外の仕事は最少にすべきと
提言したいと思っています。
 
勤務医の多くは、勤務時間から見て、非常に多忙です。
これに、新たなチェック機会が増えると、今以上に多忙になり、本来の医療行為に
影響しかねません。
技術系以外の方も、このような状況があるべき姿だとは思わないでしょう。
 
 
 
私も、このblogも、掲題の件については、完全にアウトサイドです。
ただ、今も術後の検診を受けている身としては、医師が医療行為に集中できるような対策を望んでいます。

関西学院大学の田中教授らは、テロメアの復元を抑制する仕組みを明らかにしました。
 
テロメアについては、私のblogの1月31日でも触れています。
(内容は、STAP細胞絡みですが・・・)
 
テロメアは、細胞内のDNAの両端にある遺伝情報を持たない部分のことです。
細胞分裂をするたびに、テロメアの先端部分の不完全な部分を切り落とすため、
テロメアの長さは、細胞分裂のたびに短くなっていきます。
テロメアが無くなってしまうと、遺伝情報を持つ部分を壊すことになるので、
細胞分裂はしなくなります。
これが、細胞の寿命となります。
 
テロメアは、生殖細胞では復元されます。
この復元を行うのが、テロメラーゼです。
癌細胞では、なぜかテロメラーゼが働き、テロメアを復元します。
このため、癌細胞は不老不死なのです。
 
ここまでは、以前から知られており、2009年にはノーベル賞も授与されています。
 
田中教授が明らかにしたのは、テロメラーゼの働きを適当なタイミングで抑え、
テロメアの長さを一定以上の長さになる事を防ぐSUMOの働きです。
テロメラーゼの働きでテロメアが一定の長さまで復元されると、SUMOがテロメアに付着している他の蛋白質と結合し、テロメラーゼを排除する働きを始めるのです。
 
今回の研究は、酵母細胞で行われました。 
人の細胞でも同じ仕組みが働くのであれば、癌の治療薬への応用も考えられます。
 
まだまだ先の話でしょうが、癌の治療薬に繋がることを期待したいと思います。 

妊娠中の乳癌患者への抗癌剤治療で、
妊娠5ヶ月以降なら、治療を行っても赤ちゃんへの悪影響はなかったと、
11日の日本乳癌学会学術総会で聖路加国際病院が発表する予定だそうです。
 
14年間で乳癌治療中の母親から34人の赤ちゃんが誕生しましたが、
これまでに障害や異常は見つかっていないそうです。
 
妊娠4ヶ月以前は、胎児が影響を受けやすいそうですが、
妊娠5ヶ月以降なら、抗癌剤によっては胎児への影響はないのだそうです。
妊娠後の検査で乳がんが見つかることもありますが、
そのような場合でも乳癌の治療をしながら出産することも可能なのです。
 
女性にとって、あるいは夫婦にとって、福音となる報告ですね。

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