豊葦原中津谷のニニギ

食糧自給率の向上を目指して! (2100年の日本へワープ)

カテゴリ:地球温暖化 > 再生可能エネルギ


KTMMの研究グループは、ベーゼック効果とベルティエ効果を用いた新しい蓄電システムを開発したと発表しました。

研究グループによると、3種類の新素材の開発に成功しました。

一つ目の新素材は、断熱材です。
新素材は、磁界を掛けることで自由電子の動きを制御できます。これをドーナツ状にすることで、熱を封じ込めることに成功しました。

二つ目の新素材は、蓄熱剤です。
Beを含む新素材は、非常に比熱の大きく、大量の熱を蓄えることができます。更に、-153℃を超えると、Beがイオン化することで、蓄熱量を増やします。

三つ目の新素材は、熱電対です。
新素材の組み合わせにより、熱電対の抵抗をほぼゼロにすることに成功しました。
この熱電対を用い、電力をベルティエ効果で熱に変換して、蓄熱槽に保存します。
逆に、蓄熱槽と外気の温度差を利用して、ベーゼック効果で電力を取り出します。


地球温暖化対策が急務の昨今において、再生可能エネルギへの期待が高まっています。
しかし、再生可能エネルギは、発電量を調整できない大きな欠点があり、大規模な蓄電システムが求められています。

今回の新素材は、その蓄電システムに新たな風を送り込むことになると、期待されます。





今日は、エイプリル・フールです。

残念ながら、上記は嘘ニュースです。

ただ、ニュースの中にある「再生可能エネルギは、発電量を調整できない欠点がある」との一説は、事実です。
これを解決する手段は、莫大な量の電力を、何らかの蓄電が必要になります。
現状の蓄電池では、まるで性能が足りません。
Liイオン電池でも、必要量は億トン単位になります。
Liの算出量は、40万トン/年程度ですから、日本一国でLiを独占しても数百年、日本の消費量の2万トン/年ペースなら、数万年も掛かる計算です。
因みに、Liの埋蔵量は1億トン余りなので、全て使っても足りるかどうかです。

現時点で有望なのが、水素の形で保存する方法です。
余剰電力で水素を作り、自動車(FCV)用としたり、電力不足時の電源とするのです。

量的には必要量を保存できそうですが、水素を保存するためには、大量の電力が必要となるため、効率の面で問題があります。
そこで、新しい蓄電システムが、再生可能エネルギの利用には、必須と言えます。


前述の嘘ニュースは、今は嘘ですが、将来的には真実となることを、願っています。


トヨタ自動車は、太陽電池によって発電した電力で人工的に光合成を装置の改良に成功したと、発表しました。
この装置は、二酸化炭素を含む水に酸化電極と還元電極を入れ、太陽電池の電力で二酸化炭素からギ酸(CH2O2)を生成します。
効率は、入射した太陽光のエネルギーの7.2%がギ酸の生成に変換されたとしています。具体的な記述はありませんでしたが、おそらく、ギ酸の化学エネルギーへ変換できる割合が、7.2%なのだと思います。


さて、実際の植物は、どれくらいの効率なのでしょうか。
多くの植物の光合成の効率は、1%以下と言われています。人工的に高効率になる環境を与えても、5%には届かないだろうとも、言われています。

となると、エタノール燃料で車を動かすことは、効率が悪いことになります。どんなに工夫しても、太陽光から得たエネルギの1%も、車を動かすためには使えないはずです。
太陽電池の効率は20%を超えており、送電や蓄電によるロスがあっても、光合成の10倍以上の効率は得られるはずです。
前回の話題である『人工光合成』でも、7.2%でした。
人工光合成の生成物はギ酸なので、これをエタノールに変換する必要があります。パナソニックの古い研究では、この過程で、エネルギの1/4が失われるようです。
人工光合成を用いても、エタノール燃料は太陽電池を超えられそうにありません。


エタノール燃料は、電動化が難しい動力に利用するのが良いと思います。
つまり、蓄電量では不足する船舶や、重量の制約が大きな航空機のカーボンニュートラル燃料としての利用です。
ですが、自然発火しにくいのでディーゼルエンジンには不向きと思います。
「エタノール燃料という手段もある」くらいに考えておいた方が、良さそうですね。

ギ酸からメタンを作ることも可能ですので、現状のコンバインドサイクルの発電所の燃料とすることも不可能ではないと思います。
コンバインドサイクルも、船舶なら搭載できるかもしれません。ですが、ガスタービンとランキンサイクルの2種類のエンジンを搭載しなければならないので、スペース面で経済的とは言えません。


考えてみると、エタノール燃料を含むバイオ燃料は、次世代エネルギ源としては、あまり有益ではなさそうですね。

このようなツイートを見つけました。


簡単に言うと、2軸の稼働台を持つ太陽光パネルです。太陽を追尾することで、1.4倍の発電量を得られるのだそうです。


追尾装置ですが、動画では、ハッキリしませんでしたが、構造は赤道儀のようなものでしょう。おそらく、経緯台ではないと思います。
1軸は、地球の自転軸と平行にして、1日の太陽の動きを追尾し、2軸目で、季節の太陽高度に追従するのです。2軸目は、自動にする必要もありません。週に1回も調整すれば足りるはずです。

発電量が1.4倍になることは素晴らしいことです。最終的に、火力発電も核分裂式原発も、全廃したい私としては、歓迎する成果のはずです。
ですが、残念ながら、これは絵に書いた餅にすぎません。
広い場所に1台だけ設置する場合なら、1.4倍の発電量を得られるかもしれませんが、密集して配置すると、効果は得られません。
なぜなら、パネルを太陽に向けると、その背後に影が落ちます。影になったパネルの発電量は下がります。
ツイートには、同様の指摘がありますが、御本人は完全には理解できていないようです。だから、「影になる場所を避けて、間隔を開けて設置する」と言っています。
間隔を開けて設置してしまうと、南中前後にはパネルを設置していない隙間に陽が落ちてしまいます。その分の発電量は、確実に減ってしまいます。
残念ながら、太陽追尾しても、太陽光パネルでは発電量は増やせません。平地であれば、発電量は緯度と気象で決まってしまいます。
可動式の太陽光パネルは、稼働するための動力で消費する分は、固定式よりも実質発電量が減ることになります。


ツイート主は、「原発に対抗できる」としていますが、ここでも間違いがあります。
太陽光発電が原発を完全には代替できないのは、発電量が足りないからではありません。任意の発電量を得られないからなのです。
原発は、任意の出力を持続できますが、太陽光発電では夜間も悪天候時も出力を維持できず、大きく変動します。これが最大の問題なのです。
これを解決するには、蓄電しかありません。ですが、その量は膨大で、現状ではまるで足りません。量的に解決しようとすると、とてつもない資源量を費やしてしまいます。
現時点では、太陽光発電等の自然エネルギー発電で完全に火力や原子力を代替することは不可能でしょう。

私が、原発の再稼働を容認するのは、そのような技術的な背景があるからです。


ところで、政府は「2050年までにカーボンニュートラルを実現する」としています。
30年後ですから、今の原発の多くは寿命を迎えていると思います。
私は、原発ほ新設には消極的な考えを持っています。そのため、政府の目標を達成するイメージができていません。
私が考える今世紀末の発電は、核融合を軸とし、既に実用化している水力、太陽光、風力、地熱の他、海洋温度差発電、太陽熱発電等を組み合わせる形を想定しています。
政府は、原発の新設に加え、エタノールによる発電を含めているのかもしれません。エタノールは、発酵によって得るので、カーボンニュートラルにはなります。また、基本的には、技術的な難易度も低いので、実現性が高い手法です。
ですが、本来なら食糧や飼料となるものを利用することになるので、食糧自給率が低い日本は、世界から反感を買うことになりかねません。

当ブログは、このような状況を予測し、7年前のYahooブログの時代から、継続して食糧自給率の向上を訴えてきたのです。
原発の再稼働を容認するのは、温暖化を少しでも遅らせ、技術開発を行う時間的な猶予を得るためです。
このあたりの理解が進むことを願って、微力ながら辺境のブログの運営を続けています。

どうか、よろしくお願い致します!
 

横山裕道氏は、Twitterで、自身の架空ドキュメント「運命の2030年」を題材に、原発事故が気候変動に影響するとの自論を展開されています。

以下、氏のTwitterから引用。
https://mobile.twitter.com/zxghiro/status/1192545856739663872


原発事故で気候の破局運命の2030年」では、中国浙江省の泰山原発で5基の原子炉が炉心溶融を起こし、チェルノブイリを上回る過酷事故になったと想定した。世界的に原発がストップし、代役を石炭火力が果たしたためCO2が一気に上昇。気候の破局へと進んでいく...。原発はこんなリスクも抱えている。


以上が引用です。


この内容に違和感を感じませんか?
と言っても、『原発事故を切っ掛けに、世界中で原発が止まったため、温暖化が一気に進む』との設定には、強い違和感はありません。
強いて言うなら、『原発事故が切っ掛けに、"世界中"で原発を止めるだろうか? という点くらいです。
私の違和感は、別の場所にあります。
強い違和感を感じたのは、最後の一文、『原発には、こんなリスクも抱えている』です。

横山氏は反原発の考えをお持ちですから、リスクを抱えている原発を使うべきではないと言いたいのでしょう。
なので、このリスクを回避する方法を考えてみましょう。
原発は事故が起きると世界中で原発を止めることになるなら、最初から原発を動かさなければ良いのです。
でも、「運命の2030年」では、原発の代わりに石炭火力を使ったから温暖化が進んだと設定されています。であれば、原発の代わりに石炭火力は使えません。
石炭火力より効率の良い石油火力や天然ガス火力で代替すれば良いのでしょうか?
設定では、2030年の1年間で温暖化が進んだはずです。仮に、2020年から原発事故の代わりに最も効率が良いとされるコンバインドサイクル発電で代替するとしても、2030年までの排出量が2030年の1年間の石炭火力の排出量より少なくするには、10倍以上も効率が良くなければなりません。実際には、コンバインドサイクル発電でも石炭火力の精々2倍程度ですから、「運命の2030年」は「運命の2022年」に書き換えなければなりません。
やはり、火力発電では原発を代替できません。
やはり、原発の代替は再生可能エネルギー発電です。
御存じの方も居られますが、再生可能エネルギー発電は発電量が大きく変動するため、通常は水力や火力との組み合わせになり、原発を代替できるほどの発電量は確保できません。リチウムイオン電池などの二次電池(蓄電池)を使えば良いと考える方もいらっしゃるようですが、必要な電池の大きさは途方もなく巨大なものとなってしまうので、それだけでは再生可能エネルギー発電で原発を代替できません。現状の蓄電池システムは、短時間の発電量の変化を平滑することを目的としています。
ここでは、そんなことを無視して、再生可能エネルギー発電で原発を代替できるとします。
これで、違和感は解決・・・なのでしょうか?

いえいえ、違和感は全く変わりません。

設定では、原発事故で止まった原発は5基だけてす。温暖化が目に見えて深刻になったら、事故を受けて止めていた健全な原発を再稼働すれば良いだけです。
温暖化の影響を目の当たりにすれば、人々も、"かもしれない"レベルの原発事故よりも"現実に起きている"温暖化の対応が優先されるはずです。
そもそも、停止する原発は類型の原子炉(泰山原発はいずれも加圧水型原子炉だが、重水と軽水の2種類が計6基)に限定される可能性もあります。

まあ、これは設定の範囲内とも言えるレベルなので、まだ小さな違和感でしかありません。

私の違和感の正体は、原発の代替です。
「運命の2030年」では、原発事故が発生した時の代替を石炭火力で行っています。これは、石油火力や天然ガス火力が動いていることを意味しています。
そうであれば、原発を再生可能エネルギーで代替したなら、原発は止まっているわけです。一方で、石油火力や天然ガス火力は運転され、大量のCO2を出し続けていることになります。これでは温暖化対策として不十分です。IPCCでは、「今世紀末までに化石燃料の使用をやめるべき」と提言しています。石炭火力を止める程度では話にならないのです。
そうなると、停止している原発を稼働することで石油火力や天然ガス火力を止めることができ、CO2排出量は大きく減らすことができます。
この状況で2030年に原発事故が発生しても、2030年までのCO2排出量を抑えてきているので、危機までの時間的猶予を得ることができます。
また、停止する原発の代替は、それ以前に停止していた高効率の天然ガス火力や石油火力で可能となり、CO2の排出増を抑えることができます。

整理しましょう。
原発のリスクを回避するための再生可能エネルギー発電は、原発ではなく火力発電所を代替することも可能です。従って、温暖化対策を優先するなら、原発
を停止せず、火力発電所を停止するために再生可能エネルギーを利用するはずです。その場合、「運命の2030年」の原発事故リスクを避けるために予め原発を止める余裕は存在しません。
「原発はこんなリスクも抱えている」との表現は、リスク回避の手段がないため無意味なのです。
原発を代替できるなら、その電力量を火力発電所を止めるために使わない手はありません。そもそも、「運命の2030年」は温暖化の暴走を描いている
のです。火力発電所を止める能力があるのに使わないのは、矛盾しています。

主題が『反原発』であって、無理矢理『地球温暖化』に繋げたとしか思えません。
そう言えば、「運命の2030年」は、「原発と地球温暖化」に収められていますが、"原発"が先にあり、"地球温暖化"が後にありますね。


さぁ〜て、これだけでは、「運命の2030年」への"イチャモン"でしかないですね。
私も、"イチャモン"をつけるためだけに、こんなに長々と書いたのではありません。
私の目的は、横山氏の考え方が大半のメディアやジャーナリストの考え方と類似しているので、これらを代表する例として揚げることにしたのです。

ジャーナリストを含むメディア関係者は、反原発でほぼ統一されています。
メディアは、政府や大企業を攻撃する記事を書くのが大好きです。反原発は、"政府"+"大企業"の組合せですから、メディアの大好物なのです。そこへきて原発事故ですから、屍肉に群がるハイエナのように、理性を失って何が何でも反原発を正当化しようとしまっています。
だから、地球温暖化を反原発に結びつけようとするのです。

このようなメディアの影響を受け、「反原発=正義」との盲目的な考え方が拡がっています。
例えば、地震予知を見ていると、地震予知に対する自論と反原発と結び付ける場合を見掛けます。
一つは、「地震予知研究者が予知したエリアに原発があるので、原発推進派は地震予知を否定したいのだ」との意見です。
もう一つは、「地震予知は不可能だから、いつ地震が原発を襲うか分からない。だから、原発は止めるべきだ」との意見です。
どちらも、地震予知の議論の場で出てきた意見ですが、反原発では統一されているのに、肝心の地震予知は反対方向を見ています。
地震予知に限らず、自論の正当性を訴える際、反原発に結び付ける例を多々見掛けます。
『反原発』こそ『正義』との勘違いがあるのだろうと思うのです。
メディア関係者の場合、一般人とは少し考え方が異なり、メディア関係者は『反原発』の正当性を訴える内容に変わります。ただ、原発のデメリットを細々
と探し出し、針小棒大に批判を繰り返します。
本来、メディアは公平性に基づいた報道が求められます。メディア関係者は、それを忘れてしまっているのです。

本来、原発と地球温暖化の議論は、原発事故や放射性廃棄物などのリスクと地球温暖化のリスクの比較であるべきです。
メディア関係者の問題は、原発は『悪』であることを証明しようと、上から見たり、下から見たり、横から見たりと、視点を変えた主張を繰り返しています。
ですが、本質的な部分は議論しません。
メリットとデメリットの比較で論じるべきですが、それをしたがりません。デメリットだけを誇張したいのです。
昨今の異常気象で、原発のメリットに目が向けられそうになると、今度はメリット潰しを展開します。つまり、メリットは無いと印象付け、メリットとデメリットの議論を避けようとします。
今回の例は、その一つです。
矛盾した設定を見れば、原発のメリットを潰したい本音が見えます。
詭弁と言えば一言で終わってしまいますが、メディアやジャーナリストの公平性と真実に背を向けた報道が増えている現状は、詭弁では済まされないように思います。
それは、地震予知を見ていても、その他の案件を見ても、同様に感じるのです。

原発の問題では、「原発は再生可能エネルギーで置き換えることができる」と主張しますが、任意の出力で発電できない再生可能エネルギーは、現時点では原発を代替できません。
仮に、原発を代替できるとして、その能力で火力発電所を止めようとしない理由は、何でしょうか。
その背景の一つに、原発が温暖化対策として有効でも、再生可能エネルギーで代替すれば原発を止められると思い込んでいるためと思われます。
温暖化対策を考えるなら、原発の前に火力発電所を止めるのが当たり前ですが、それを主張しないのは、「温暖化対策は原発分で足りる」と見ているのでしょう。
彼らは、IPCCの提言を知らないのでしょうか。

もう一つは、九州で原発再稼働に伴い、再生可能エネルギーの割合を制限したことを、原発優先だと勘違いしているためでしょう。
実際には、CO2排出量を現時点で最小にするために、再生可能エネルギーを抑える必要があったのです。
再生可能エネルギーは、出力が任意に設定できない上、出力の変動が激しいので、火力や水力と組み合わせて運転する必要があります。原発を稼働すると、出力調整できる火力発電所を止めることになり、出力の調整幅が小さくなります。そうなると、出力が変動する再生可能エネルギー発電に対応できる幅が狭くなるため、再生可能エネルギー発電を止めざるを得なくなるのです。
再生可能エネルギー発電を優先すると、変動に対応するための火力発電所を多く稼働させなければならず、結果的にCO2排出量が増えることになります。


反原発を主張しすぎることは、地球温暖化にはマイナスになる場合があります。
反原発と地球温暖化は、バランスを取らなければなりません。特に、現時点でできることと、将来的に期待できることは、明確に分けて、考えをまとめるべきです。

最後に、私は原発新設には反対の考えを持っています。
温暖化が進めば、世界的に原発を建設するように圧力が掛かってくるでしょう。現時点は原発を再稼働し、少しでも温暖化を遅らせ、新しい技術が開発される時間を稼ぐべきです。現時点では実現していない技術を主張して温暖化対策を遅らせるのは、長い目で見れば逆効果になると、私は考えています。

再生可能エネルギーは、少なくとも現時点では、地球温暖化対策では『脇役』の役割であり、原発と火力の両方を止める能力はないということを理解した上で、考えていくべきです。
 

「原発の安全対策費が莫大な額になっているので、原発を止めるべき」
こんな意見があります。

私の感覚は、この費用は地球温暖化対策費なのです。必要な投資なのです。
そもそも、地球温暖化対策には莫大な費用が掛かります。それは、再生可能エネルギーでも同様なのです。


再生可能エネルギーは、莫大な費用が掛かる発電方式であることを知るべきです。
そのため、経済性では旧来の発電方式には太刀打ちできず、定額買取制度によって成り立っています。この費用は、莫大な額になります。

再生可能エネルギーは、出力の制御ができないものが大半を占めます。その上、出力の変動が激しい欠点もあります。
蓄電池システムは、再生可能エネルギーの欠点の一つである出力の変動をなだらかにするために開発されました。従って、例えば太陽光発電の夜間や冬季の出力不足を補う能力はありません。
このため、再生可能エネルギーは、旧来の火力発電などとのセットで運転されます。
出力調整が可能な火力発電所とは言え、停止から起動するには人員も電力も大量に必要となります。ですので、常に運転状態を維持し、再生可能エネルギーの出力が不足した際には出力を上げて補います。原発であれば、一定の出力が得られるので、火力発電所も停止できますが、再生可能エネルギーを使用するためには停止できないのです。この費用も、本来であれば再生可能エネルギーの費用として勘案すべきです。
再生可能エネルギーの定額買取制度は、有期の制度です。期限が過ぎれば、採算が取れなくなり、撤去が必要になるかもしれません。その費用も、無視されています。
無視されていると言えば、再生可能エネルギー発電所で使われる除草剤の環境への影響も無視されています。
更に、原料の採掘から製造までも含めれば、その間に排出されるCO2の量は莫大で、CO2排出量の削減効果は大きくありません。
つまり、削減量当たりの発電費用は、高額なのです。
それでも再生可能エネルギーを推進すべきと、私は考えています。それくらい、地球温暖化は人類には厳しい試練となるだろうと考えているのです。


もちろん、原発も使用済み燃料の最終処分方法が決まっておらず、コストも非常に高いものとなるでしょう。
また、原発は止めれば良いと考えてしまいがちですが、廃炉の際に放射性廃棄物が発生します。これは、原発を再稼働をしても、再稼働しなくても、変わりません。
なので、私は原発の再稼働には賛成ですが、新設には反対なのです。


地球温暖化を含む化石燃料の大量消費の弊害は、人類の存亡に関わる問題だと考えています。ですので、地球温暖化対策は、費用を無視するくらいの割り切りが必要だと思っています。
このスタンスは、原発に対しても、再生可能エネルギーに対しても、全く同じであり、地球温暖化対策として、私の中で一貫した考えです。
また、化石賞が欲しいのであれば、条件付(反原発を大前提とする条件)の温暖化対策を続けていけば良いでしょう。


 

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