政府は、経済安全保障と食糧安全保障を見据えた法改正が、閣議決定されました。
当ブログは、食糧自給率向上を目的として始めました。
また、『2100年の日本のあるべき姿』では、経済安全保障にも関係する内容となっています。
政府が、経済安全保障と食糧安全保障に関心を示したことは、当ブログなら歓迎すべきなのかもしれません。
ですが、政府が示した方針は、力による支配、管理統制の強化でした。
ガッカリです。
食糧安全保障では、『食糧・農業・農村基本法』の改正が行われます。
農業の自動化の推進と、1年毎の検証が、盛り込まれることになっています。
物足りませんが、これ自体は悪くありません。
問題は、追加される法律です。
食糧安全保障のみを目的した『食料供給困難事態対策法案』は、ファシズムを想起させる雰囲気があります。
食糧の供給が不足した際、政府は、農業従事者に増産を要請できます。
更に不足した場合は、農業従事者に対して、生産・出荷計画の提出を求めます。
計画を提出しなかったり、正当な理由なく計画通りに生産・出荷しなかった場合には、罰則まで用意されています。
「出荷を増やせ」と言って、簡単に増えるでしょうか。
「計画通りに生産しなければ、罰金だ!」と脅せば、何でも実現すると思っているなら、政治家を辞めた方が良いでしょう。
生産計画を出させるより、農家、農業法人から増産に必要な支援の要望を出させる方が、まともな発想でしょう。
そして、そういった内容は、平時からやるべきで、緊急時に要求するものではありません。
支援もするとしていますが、緊急時だけ支援しても、意味がありません。
そもそも、簡単に増産できるはずがないのです。
種苗の入手から収穫まで、短くても数週間、果実や蒟蒻芋なら数年もかかります。栽培できる季節も関係します。
種苗の入手から収穫まで、短くても数週間、果実や蒟蒻芋なら数年もかかります。栽培できる季節も関係します。
栽培の途中で、「収穫量を増やせ」と言われても、増えるはずもありません。
新田開発であれ、休耕田を再開するにしても、年単位の時間が必要です。
計画書には、来年度の予定出荷量、あるいは数年先の出荷量を記入することになるでしょう。
新田開発であれ、休耕田を再開するにしても、年単位の時間が必要です。
計画書には、来年度の予定出荷量、あるいは数年先の出荷量を記入することになるでしょう。
食糧難の対策は、生産者に命じて生産量を確保する考え方は、非民主的かつ愚かです。
対策は、もっと地味にやっていくべきです。
市場に流れる農産品の品質(形状や大きさ等)を緩めれば、廃棄分が減り、結果的に増産相当になります。
同様に、食糧の13%程度が、フーズロスとして捨てられているので、これをゼロにできれば、13%の増産と同じ価値を持ちます。
マクロで考えてみましょう。
食糧難の要因は、輸入の困難さの変化と、国内の生産量の変化が、考えられます。
輸入の困難さは、生産国の生産量の変化、為替の変化、生産国との関係の変化、海上輸送の困難さの変化等が考えられます。
食糧自給率を向上させれば、輸入の困難さによる影響を減らすことができます。
つまり、食糧難の要因は、国内の生産量のみとなり、食糧難のリスクそのものが減ります。
「食料の安定供給のための農地の確保及びその有効な利用を図るための農業振興地域の整備に関する法律等の一部を改正する法律案」
この法案の詳細は不明ですが、「農地の確保」とあり、緊急時には、政府による接収に可能性を残そうとしているのかもしれません。
そうであれば、民主主義とは対極の政治です。
そうであれば、民主主義とは対極の政治です。
全体として、力による政治、力による支配を感じさせる法案であるのに対し、食糧自給率の向上のような基本的な対策は、非常に甘いものとなっています。
背景には、TPPがあるのかもしれません。
TPPに抵触しないように、食糧増産は緊急時のみで、それ以外は輸入に頼るつもりかもしれません。
TPPに抵触しないように、食糧増産は緊急時のみで、それ以外は輸入に頼るつもりかもしれません。
ですが、食糧輸出国が食糧不足になったなら、日本に輸出しなくなりますよ。
そして、一方的にTPPから離脱していくかもしれません。
TPPには、食糧安全保障のリスクを孕んでいるのです。
そして、一方的にTPPから離脱していくかもしれません。
TPPには、食糧安全保障のリスクを孕んでいるのです。
当ブログは、TPPには反対の立場を貫いてきました。
それは、食糧安全保障の足枷になるとわかっていたからです。
今の政治家は、日本を衰退させるための政策を続けているように見えます。
軍備にお金を費やし、教育や研究・技術開発にはお金を投じません。
まるで日本を売るかの如きTPPを進め、国債を発行しまくり、円安を招いています。
結果、物価は高騰し、食糧不安を生み始めています。
本当に、今世紀末の世界地図には、「日本」は残らないのではないかと、不安です。